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目取真俊「水滴」書評(3)(評者:平山大晟)

目取真俊「水滴」(『現代小説クロニクル1995–1999』収録)

評者:平山大晟

 第二次世界大戦末期の1945年、沖縄を中心に連合国軍と日本軍の激しい戦いが勃発し、民間人を含め約20万人の犠牲者を出した。現在でも沖縄には当時の戦跡や大勢の死者の名前が刻まれた慰霊碑が数多く存在し、その悲惨さを物語っている。 
 本作「水滴」は、そんな沖縄戦から50年ほど経った沖縄を舞台にした作品である。沖縄戦を生き延びた元軍人の徳正が、当時の記憶、そして自身の後悔と向き合っていく。
 妻のウシと共に農業を営む主人公の徳正は、ある日突然右足が膨れ上がり、右足の親指の先から大量の水が流れ出すようになってしまった。以来、徳正は意識だけは明瞭であったが、体を動かすことも、言葉を発することもできなくなり、寝たきりの状態になってしまう。
 徳正の足が腫れ上がってから数日が経ったある日の夜、右足のつま先に違和感を覚えて目覚めた徳正が目にしたものは、ぼろぼろになった軍服を着た兵隊達の姿だった。兵隊達は一列に並び、順番に徳正の親指の先から流れる水を飲んでいく。兵隊の中には、師範学校の同級生で、徳正と同じ部隊に配属されていた石嶺もいた。
 その一方で、徳正の見舞いにやってきた従兄弟の清裕は、徳正の足から出る水に不思議な力があることに気づき、「奇跡の水」として販売し始める。しかし、徳正の足から水が出なくなると同時に水の効力は失われ、さらには水の副作用によって醜い姿になってしまった客達から報復を受けることになる。 
 本作の登場人物は、ほとんどがウチナーグチ(沖縄方言)を話している。また、ウシや清裕の破天荒な言動や行動も相まって、戦争をテーマにした作品ではあるが、どこか陽気な雰囲気が漂っている。戦争文学はどうしても暗い雰囲気になりがちだが、本作は戦争の悲惨さを描きつつも、陽気な印象を与えるウチナーグチや、コミカルな描写を差し込むことで、より親しみやすくなっているように感じる。
 物語の中盤、かつての戦友、石嶺と再会した徳正は、沖縄戦の凄惨な記憶を思い出す。
 沖縄戦当時、米軍との激しい戦闘により石嶺を含めた多くの兵が負傷し、壕に身を隠していた。負傷した石嶺を必死に看病していた徳正だったが、ついに限界が訪れ、残された食糧と水を飲み干し、石嶺や多くの負傷兵を置いて壕を後にした。
 徳正は終戦からの50年間、この事を誰にも明かさず、偽りの戦争体験を話し続けることで記憶を誤魔化してきたのである。
 徳正の足から流れ出す水、これは徳正の後悔と石嶺達への贖罪が形になったものなのではないだろうか。当時届けることが叶わなかった水が50年経った今、仲間達を潤すと同時に、徳正を後ろめたい過去と向き合わせたのである。
 誰にでも忘れたい記憶や、無かったことにしたい出来事の一つや二つはあるだろう。しかし、こういう記憶に限ってなかなか忘れられなかったり、ふとした時に急に思い出したりする。結局は自分の過去とは最後まで向き合わなければならない。そんなことを考えさせられる作品であった。

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