見出し画像

向田邦子「春が来た」書評

前期最終分の書評のアップを忘れていました。すみません。

向田邦子「春が来た」書評(『隣の女』収録)

評者:成山美優

 人は、他人と関わり合うことで影響を受けたり、与えたりしている。それは良いことかもしれないし、悪いことかもしれない。それらを取捨選択していく中で、人は変化し、学び、成長していくものなのだろう。この小説では、一人の男性の与える影響で、とある家族が変わっていく様子を描いている。 

 冒頭は、直子と風見が喫茶店で話しているシーンから始まる。直子は風見に対し、自分の実家や家族のことを、実際よりも飾りたてて話していた。あとになって自分の首を絞める行為になるとはわかっているのだが、今この瞬間を楽しめるのなら、それでもいいと思うのだった。その後、フランス料理を食べに行こうと乗り込んだタクシーのドアが足首にぶつかった直子は、風見に家まで送ってもらうことになる。家の前で別れようとしたのだが、そこへだらしない恰好をした母親の須江が出てきてしまう。自棄になった直子は風見を家にあげてすべてを見せ、綺麗さっぱり忘れることにした。歩くと音が鳴ったり凹んだりする畳、形ばかりの庭、だらしない恰好の両親、可愛げのない妹の順子。恥ずかしい思いをしたがこれで終わったと割り切り、風見を見送る。一週間ほど連絡が無かったため半ば諦めていたものの、やがて週末ごとに風見は直子の家へ遊びに来るようになる。田舎にある実家と同じ匂いがして、気が休まるらしい。日を重ねるごとに須江は言動が丁寧になり、順子も気遣いを見せ始め、直子は風見が来るたびに家の中が明るくなっていくのを感じていた。しかしそれに加えて、どこか違和感を覚えるようにもなった。父親の周次が風見と二人で飲みに行ったこと、順子が風見のオフィスに入選した詩を見せに行ったことなどが重なり、自分の持ち分を齧り取られたような気分になっていた。みんなでお祭りから帰った後、須江は痴漢にあったことを何度も家族に話していたが、周次がいい加減にしないかと怒鳴る。オドオドして母の機嫌を伺ういつもの周次ではなく、男の顔をしていた。

 いつの間にか自堕落だった部屋は片付き、花も飾られており、うちの中が明るく弾んでみえることに直子は気づく。直子、須江、順子、周次、うち中みんなに春がやって来たのだ。

 風見が直子の家に出入りするようになってから、家の中も直子の家族もどんどん変化していった。風見のことを意識してか、特に女性たちは身なりに気を遣うようになり、性格も明るくなっていった。「女性は恋をすると綺麗になる」と聞くが、その言葉をまさに体現している様子が微笑ましい。結婚の話が出ていたものの、最終的に風見は「ぼくには荷が重すぎる」と発言し、断られる結果となる。直子と結婚することはつまり花嫁を三人引き受けることになるので、自信が無くなったらしい。風見と別れたことで、直子は元の状態に戻ってしまうのではないかと思ったが、「さようなら!」と大きな声で告げる姿を見る限り、その心配は必要なさそうだった。切ない終わり方ではあったが、風見に対しての想いは断ち切れたのだと思う。

 人の心というのは些細なことで移り変わっていく。この小説では風見がきっかけとなり、直子をはじめとした登場人物たちの心を動かしてきた。作者の丁寧な心理描写から、それらを感じ取ることができるだろう。人という生き物ならではの持つ、繊細で複雑な感情の変化の面白さを感じられる作品だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?