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アーシュラ・K・ル・グィン「オメラスから歩み去る人々」書評(1)(評者:平山大晟)

先々週の4回生ゼミではアーシュラ・K・ル・グィン「オメラスから歩み去る人々」を読みました。倫理や人間の幸福のありかたについて活発なディスカッションができました。

アーシュラ・K・ル・グィン「オメラスから歩み去る人々」(『風の十二方位』収録)

評者:平山大晟

 暴走したトロッコの線路上に5人の作業員がいる。このまま放っておけば5人全員が死んでしまうが、自分が分岐器を起動し、別の線路にトロッコを誘導すれば5人を助ける事ができる。しかし分岐した先にも1人の作業員がいる。この時、自分はどうするか。 
 こんな質問を見たことはあるだろうか。これは「トロッコ問題」と呼ばれる倫理学的な思考実験の一つである。より多くの人を助けるために1人を犠牲にして良いのか。本作、「オメラスから歩み去る人々」はそんなジレンマを抱えるオメラスという国と、そこで暮らす人々の葛藤を描いた作品である。
 本作に登場するオメラスと呼ばれる国は華やかな塔や家が立ち並び、奴隷制も君主制も爆弾もなく、僧侶も軍人もいない。都では祝祭が行われ、人々で賑わっている。まさに理想郷と呼べる国である。だが、オメラスの繁栄とそこに住む人々の幸福は、1つの犠牲のもとに成り立っている。その犠牲とは、オメラスのどこかの建物の地下に幽閉されている1人の子供である。その子供は十分な食事も与えられず、鎖に繋がれたまま放置されている。誰との契約かは分からないが、オメラスの平和は1人の子供を地下に幽閉するという条件のもとに成り立っているのである。オメラスで暮らしている人々は全員この子供の存在を知っているが、誰も助けようとはしない。なぜなら、この子供を解放しようものなら、たちまちオメラスにはあらゆる災厄が降り掛かり、最終的には滅んでしまうからである。
 オメラスで暮らす子供達は8歳から12歳になる頃にこの事実を大人から聞かされる。多くの子共達は衝撃を受け、怒りと無力さを感じるが、時が経つにつれ、この現状を受け入れざるを得ないことに気づいていく。だが少数ではあるが、この事実を知らされた人の中にはオメラスから去っていく人もいる。理想郷を捨て、旅立っていく彼らがどこに向かうのか、誰も想像することはできない。
 国全体の幸せのために何の罪もない子供を地下に幽閉し、国民はその事実を知りながら見て見ぬふりをする、とても残酷な話に思えるが、実際のところ、我々が暮らしている世界も同じようなものである。我々は当たり前のようベッドで目覚め、冷蔵庫を開ければいつでも食べ物があり、学校にも通い、夜になれば暖かいベッドで眠ることができる。だが、この生活は当たり前ではない。世界のどこかでは家もなく、食糧難に苦しみ、病気になっても薬が手に入らない、そういう人々もいる。私たちの生活は多くの犠牲と不平等のもとに成立しているのである。そして、ほとんどの人はこの事に気付いているだろう。しかしそれでも我々は今の生活を捨てる事はできない。我々はオメラスから歩み去ることはできないのである。

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