江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」書評(評者:山田瑠菜・柴田美朝

江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」(『ちくま日本文学 江戸川乱歩』収録』)
評者:山田瑠菜

犯罪に魅せられてしまった只一人の人間

 こんな話を聞いたことがある。人間は誰しも、内に狂気を秘めている。その人格を表に出さずに、理性で覆い隠したものが自分自身だと人間は思い込んでいるが、実は無意識下に恐ろしい狂気じみた混沌とした別人格がいるのだと。"法律さえなければ"いや、もっと身近な表現をすれば"誰かに叱られさえしなければ"悪いことをしたくなってしまう。そんな経験はないだろうか。
 そんな、誰しもが内に秘めていそうな犯罪への好奇心を、江戸川乱歩らしく描いた読みやすい短編ミステリーがこの『屋根裏の散歩者』である。
 この作品は、江戸川乱歩の小説で有名な明智小五郎シリーズの第5作目である。
 郷田三郎は職を転々としながら親の仕送りで生活する男で、これまでの人生に楽しみを見出せず、何をしても面白いと感じられなかった。そんな郷田はある日、探偵の明智小五郎に出会い、数々の犯罪談を聞く。犯罪に底知れぬ魅力を感じた郷田は、これまで退屈だった人生に色がついたような心地になった。しかし自分が警察に捕まるのは何としても避けたかった郷田は、ギリギリお咎めを食らわないくらいの犯罪の真似事を楽しむようになった。そして、最近引っ越した館の自室の天井から屋根裏に入れることに気が付き、その日から同じ館の住人たちの生活を真上から覗き見するようになった。
 そこで、以前から郷田が生理的に不快と感じていた遠藤という男を、屋根裏から毒を垂らして殺すという計画を思いつく。様々な考えを巡らす一方で、一旦は殺人を思い留まるも、郷田はうずく殺人への好奇心を抑えられずに殺人を決行し、遠藤はあっけなく死んでしまった。その後、警察は遠藤の死を自殺と判断し、郷田は疑われずに済んだものの、自身が出したボロにより数ヵ月後に明智小五郎によって犯人だと証明されてしまった。明智が、「郷田こそ真犯人だ」と気付いた大きな理由は、あれほど煙草を好んで吸っていた郷田が、遠藤を殺したことがきっかけで無意識に煙草を遠ざけていたことにあった。
 この小説の面白いところは、犯罪をしようとする郷田になぜか肩入れしてしまい、殺人が成功するように期待してハラハラしてしまう点である。
 この小説では全体を通して郷田視点(犯人視点)で経過が描かれている。やはり犯罪者は犯罪者でもその心情を覗いてしまうと情を感じてしまうのが不思議である。郷田は陰湿で傲慢な性格をしていて、屋根裏から人の生活を覗くという行為も変態だと言わざるを得ないが、この郷田視点で書くというところが読者の同情を煽る。読者にジレンマを感じさせるのが上手いのだ。
 また、単純に明智小五郎がかっこいい。今回の作品は、悪(この場合は郷田)が真っ当に裁かれるという王道の展開ではないものの、焦る郷田にじわりじわりと詰め寄る明智という構図が読んでいて最高に爽快だった。最後の最後に明智が頭のキレと変態さで郷田を上回ってくる感じが非常に熱かった。他の明智小五郎シリーズもぜひ読んでみたいと思う。
 これは個人的な感想だが、郷田の犯罪嗜好癖がやけに中途半端なものだと感じた。警察に捕まりたくないという迷いや、殺すか殺さないかの恐怖の葛藤など、思考の節々に「サイコパスのなりをしている一般人」と思えてならない部分が垣間見えているためである。
 極論に聞こえてしまうかもしれないが、郷田はあくまで“警察に捕まるから”“人を殺してはいけないから”殺人をしないだけであって、そういった秩序を抜きにすれば、郷田は一体どのような行動を取るのだろうか。そういった性悪説的な想像をしながら読むとさらに深く楽しめるミステリー小説である。


江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」(『ちくま日本文学 江戸川乱歩』収録』)
評者:柴田美朝

転機

 様々なタイミングで人は転機を迎える。入学や就職、結婚などの人生の転機はもちろんであるが、もっと日常的な場面でもあるのではないだろうか。例えば、今日はカレーのつもりだったけど白菜が安いから鍋だなとか、たまたま見た動画の人物にほれ込んで課金しまくるとか、頭をかいた時を勘違いされて委員に選出されるとか、たくさんの転機があるだろう。この小説は、そんな転機を求め探し、逃し続けた男が人生最悪の転機を迎える話である。
 郷田三郎は定職に就かず、親の仕送りで生活している、いわゆるニートである。飽き性など郷田は職業や下宿も転々としていた。ある日、素人探偵の明智小五郎に出会う。この出会いは郷田を犯罪という新たな興味を与えた。実際に犯す行動力・勇気は持ち合わせていなかったため、犯罪のまね事をした。しかし、この興味も例のごとく飽き、いつの間にかやめていた。しばらくして、屋根裏の存在に気づいた。屋根裏は全部屋つながっており、時折隙間があるため部屋を覗くことができた。郷田は「屋根裏の散歩」と称し、犯罪人になったつもりで続けた。そして、気に入らぬ遠藤の部屋の上に大きめの節穴を見つけると、そこから毒薬で遠藤を殺そうと計画した。節穴の直線上に遠藤の口がくる機会を待ち、実行した。計画通り遠藤は死に、自殺として扱われ、郷田の罪は発覚しなかった。初めはおびえて過ごすも、二三日たつと余裕を感じ、遠藤のことを聞きに来た明智にも、少し挑戦気味に応じた。しかし、半月ほどが経った頃に、明智が郷田のもとを訪れ、遠藤の死の真実を告げたのだった。
 この話では、殺人を犯す前後で郷田に変化がみられる。それまで、興味を持たなかったものに対して、面白さを感じるようになったことである。殺人を犯したことにより、今まで躊躇っていたことを成し遂げた、一生を捧げるような行動を起こしたという、事実の認識により、自己肯定感が上がったと考える。それまでは、何をしても満足できない、面白くないという考えのもと遊んでいたところが、自己肯定感が上がり自信を持つことで、自分は楽しむことができる、なんでもできるというようなプラスの思考回路になったのだと考えた。
 これらの考察の根拠として、作中での犯罪の表記が変わっている点である。殺人を犯す前(P144-149)は「犯罪」、犯した後(P188)は犯罪となっている。郷田にとって、犯罪は興味惹かれるものであり、憧れるものであり、恐れるものであったため、空想・想像のものであった。しかし、罪を犯すことで、実際に行動した過去であり、興味もなく憧れもなく、恐れるものですらなくなったのだ。よって郷田の変化が現れたと考える。
 しかし、恐れるものでなくなったと本人は考えていたが、無意識のうちに煙草に毒薬がかかったことを見て、煙草を吸わなくなり、さらに、無意識にその記憶さえも消していた郷田を見て、人間、簡単には変わらない本質があるのだなと感じた。

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