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安岡章太郎「悪い仲間」書評(2)(評者:高瀬晴基)

安岡章太郎「悪い仲間」書評(『群像短篇名作選 1946〜1969』収録)

評者:高瀬晴基

 素行不良、血行不良、天候不良、不良債権など「不良」という言葉は概して悪いもの、ロクでもないものを表すときに使われる。世の中ではあらゆる物事が区別され、不良であると判断されたものは排されていく。
 この区分けというのは人間においても適応され、我々は人生のカリキュラムの中で人間としての優劣を弥が上にも目の当たりにしていく。外見の美醜や貧富、知能水準など、人間としての優劣を示す記号は色々あり、我々の多くは思春期の頃にこのことを意識し始めるだろう。その時に誰しもが自分を優秀であると信じることができるわけではなく、劣等感に苛まれる者も一定数以上出てくる。そのような所謂劣等生たちにとって、非行という形で自己を表現している不良少年というのは、時に偶像として憧憬の念を抱かれることがある。
 安岡章太郎『悪い仲間』は、そのような不良に憧れる青少年の精神をリアルに描いた作品である。
 大学部の予科に進んで最初の夏休みに突入した退屈な学生である「僕」は、暇つぶし半分で通うことにした神田のフランス語講習会で藤井高麗彦という風変わりな学生と出会う。出会い当初こそ異臭と汚らわしさを放つ彼に忌避感を抱いていた「僕」だが、次第に自分にはできないことを平然とやってのける彼に男としての憧れを抱くようになり、彼が京都に帰るまでの間、彼にくっ付いて様々な非行に走り、刺激的な日々を過ごした。
 新学期が始まって同級生の倉田真悟と再び連むようになった「僕」は、藤井から受けた刺激的な諸体験を彼に教授し、彼からの薫陶を受けることで自分が藤井のような垢ぬけた、高尚な人間に近づいたと感じていた。しかし、藤井の再びの登場によって異質になり切れない自分を痛感し、そしてそのことは藤井に対する崇拝の念をより深いものにすることとなった。
 倉田と競い合い、悪道邁進する日々を送っていた「僕」だったが、藤井からの手紙によって、彼が退学を命ぜられ、故郷の朝鮮へ帰ることになったことを知る。そのことから、自分の憧れの先には身の破滅が待ち受けているのだ、ということを感じた「僕」は、「悪い仲間」である彼らと距離を置くことを決めたのだった。
 この作品の中で最も私の興味を惹いた部分がある。

 京都で藤井は手紙に忙殺されていた。〔中略〕……二人の友達から交る交る送られてくる手紙で、彼は気が付かないうちに、ひどく高い所へとおし上げられていた。〔中略〕いつの間にか、彼は自分で投げた暗示に自分からひっかかりだしていた。つまり彼もまた倉田や僕と同じように、彼の生活の美の根源が女を知っていることにあると考えはじめた。そこで藤井は一種の信仰から、せっせと遊郭通いをすることになった。僕らへ送る手紙のインスピレーションを沸かせるために。(p.132-133)

 この部分は、藤井という男の真実を表す重要な内容であるといえる。悪のカリスマ的な存在として「僕」や倉田に支持され、ある種宗教的ともいえるような憧憬を抱かれていた藤井であったが、その実は一介の劣等者でしかなかった。したがって身を亡ぼすことになったというわけだ。
 フィクションにおいては「正義は勝つ」というのが常套であり、悪が蔓延したままエンドロールを迎える作品は稀であろう。だがこと現実においてはどうだろうか。正義によって秩序が保たれていると言えるかどうかというと、答えは否であるだろう。戦争を始めとして、麻薬売買や政治家の汚職など、世の中にはありとあらゆる悪が蔓延している。侵蝕され切って世に擬態し見えなくなった悪や、必要悪として見過ごされている悪も存在するうえ、押しつけの正義による争いなどもあり、善悪で物事をはかるのは難しい。しかし、そのために規範というものが存在している。その根幹に正義が関わっているのか、悪が関わっているのか、判断を下す必要はない。定められたルールに則り行動する、という規範意識を持つことが求められるのだ。 
 この作品において不良としての道を進んだ藤井と倉田は破滅の一途をたどることが予想される。世の中が弱肉強食の資本主義社会である以上、定められたルールの中で我々は自分の能力を信じ、磨き続けるしかない。劣意に駆られ、世を恨み非行に走ったところで辿る先は刑務所送りになるか、反社会的勢力に取り込まれるか、何にせよロクでもない結末が待っている。
 語り手「僕」は「悪い仲間」とのつながりを最後に断ち切った。そこからの彼の人生がどのようになるかは彼の今後の行動如何であるというポジティブな結末であるように私は解釈した。ところが、新しい国々との戦争が始まった、という最後の文の解釈によっては揺らいでしまうところかもしれないので、ここでは触れず、後に皆様の解釈を仰ぎたいところではある。

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