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シオドア・スタージョン「孤独の円盤」書評

 本日2本目の更新です。成山美優さんに、シオドア・スタージョンの短編小説のレビューをしていただきます。

 シオドア・スタージョン(小笠原豊樹訳)「孤独の円盤」(シオドア・スタージョン『一角獣・多角獣』早川書房、2005)

評者:成山美優

 孤独は時に心地よく、時にとても怖いものであると思う。友人や恋人、家族など、誰かと感情を共有することで、人は孤独とうまく向き合っているのかもしれない。

 この小説は、「わたし」がある「女」を探して海にやってきた場面から始まる。この時点では女を探している理由はまだわからない。やがて「わたし」は探していた女を見つけるが、彼女は入水自殺をするつもりでいた。水中でもみ合い、女を引き留めてからしばらくした後、彼女は話を聞かせてくれた。

 女は十七歳の時、ニューヨークでとても不思議な体験をした。セントラルパークを訪れた女がふと空を見上げると、頭上には円盤が浮かんでおり、彼女の二つの掌を合わせたほどの大きさのそれは、突然彼女に向かって落下してきた。円盤は彼女の額のあたりで停止し、少しの間体をつり上げていたが、何かメッセージを伝えると彼女の体を放した。その出来事以降、彼女の生活は一変してしまった。誰もが円盤が伝えた内容を知りたがり、まともに話しができる相手がいなくなった。彼女は円盤からのメッセージを誰にも話そうとしなかったため、挙句の果てには刑務所に入れられ、裁判にかけられた。何度か誘われたデートの目的は全て円盤について聞きだすためだったし、仕事はクビになった。そんな生活に嫌気がさし、海岸に引っ越した彼女はある日、壜のアイデアを思いつく。手紙を壜に入れて栓をし、海岸を散歩しながらできるだけ遠くへ壜を投げる。そのアイデアで三年も持ちこたえたと言う。

 話を終えた後「わたし」に、そろそろ円盤が何と言ったのか訊きたいんじゃない?と投げかけた彼女に対し、「わたし」はある文章を暗唱し始める。

ある生きものには
言うに言われぬさびしさがある
それはひどく大きなさびしさだから
生きもの同士で分かちあわねばならぬ
それがわたしのさびしさである
だから知るがいい、宇宙には
あなたよりさびしい者が存在すると(83頁)

 それは女が壜に入れて流した手紙の内容であり、円盤からのメッセージでもあった。「わたし」は二年前に壜を見つけ、それ以来女をずっと探し続けてきたと言う。女の体はみるみる光を放ち始めたように見えた。彼女の孤独は終わったのだ。

 女の孤独が終わりを迎えたと同時に、「わたし」も孤独から救われたように思う。小説の終盤には「わたし」も孤独な境遇を話す場面があり、女の抱える孤独にそっと寄り添うような優しい語り掛けだった。二人はお互いと出会うことでやっと「孤独」というさびしさを分かち合うことが出来た。

 この小説では、「円盤」という、存在が曖昧でいかにも宇宙的なものが、地球に住む人間同士を繋げる一つのツールとなっている。女がただの円盤だと思っていたものは、女が海に流していた壜のように、宇宙に住む孤独な誰かから届いたメッセージであった。女は「わたし」と出会うことが出来たが、円盤の送り主はさびしさを分かちあえる相手がいないままなのだろうか。いったいどんな生活を送っているのだろうか。想像が膨らむとともに、果てのない切なさを感じさせられる。

 そして最後の二文に、作者の思いがすべて詰まっているような気がした。人は誰しも、孤独に思う心を持ち合わせている。物語を読み終えた時、救われる人間は多いのではないだろうか。かく言う私も救われた一人である。切ない中にもじんわりとあたたかい、愛に溢れた物語であった。

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