見出し画像

黒井千次「声の巣」書評(2)

黒井千次「声の巣」の書評、2人目は西野乃花さんです。

黒井千次「声の巣」(現代小説クロニクル 1995–1999』収録)

評者:西 野乃花

 声が生まれるところ、もしくは声そのものが育てられるところ。声の巣、という言葉に対して私が抱いた第一印象である。丸っこくて、その中に空間があって、窓のような小さな穴からひょっこりと声が顔を出す。巣、と書かれたのでどうしても鳥の巣に近いものを連想してしまうのは仕方のないことだろう。尤も、本作品において枯葉や枯草などの植物体が利用された巣は一切登場しないのだが。
 語り手である「私」、そして「私」の友人である柿坂と菊本。一台の白い電話機を三人で囲い、電話機から流れる留守番電話を聞く。本作品はそういった物語である。白い電話機の持ち主は失踪してしまったもう一人の「私」の友人で、名は蓮田といった。連絡が取れなくなってしまった蓮田を心配した柿坂は「私」と菊本に連絡し、蓮田が一人暮らしている部屋で集合した。三人で囲んで座ったその白い電話機の留守番電話のテープは巻き切れていて、それは三十分間分たっぷりと留守番電話が録音されていることを指していた。録音されている音声を、一人で聞くのは嫌なので二人を呼んだのだと話すのは柿本。そもそも蓮田にようがあるとかけられてきた留守番電話を聞いてしまうのはどうかと思う「私」であったが、結局三十分間分聞き終えてしまうのであった。
 ヨミチの会、という言葉が印象に残っている。”ヨミチ”と作品内ではカタカナで書かれているが「私」たち三人が連想したのは”夜道”という言葉。花岡という人物から午後十時前に録音されていた内容では、ヨミチの会という催しが取り止めになったこと、その時既に蓮田と連絡がつかなくなっていたようで、栗下という人物が心配していたこと。そしてその翌日の午後十二時前、疲れたような女の声で、やはりまだ帰っていないのか、あなたはおかしいから少し考えてみてくれといった内容のものが録音されていた。柿坂はこの音声を探していたようだった。そしてまたその翌日、午後十時半ごろ、蓮田本人らしき声にが録音されていた。

やあ、俺だよ。どうしてる?元気出しなよ。あまり寂しいと哀れだから電話したんだ。みんなおなじようなもんだぜ。じゃあな。

 蓮田の録音内容であるこれは、自分に向けて録音されたものなのか、それとも今この場にいる人物たちに向けられて録音されたものなのか。留守番電話のテープは「私」たちがそれを聞いている当日まで続いていて、その日の真夜中の午前二時。新たな音声が録音されていた。いつか聞いた疲れているような女の声で、落着きの代わりに諦めに似た静かなトーンが声音に滲んでいた。

ごめんなさい、なんにもしてあげられることがなくて・・・多分、お電話もこれでおしまいになるわ。テープに向ってしゃべっていても仕方がないし、貴方には迷惑だろうし・・・あ、待って。もう一度だけかけるかもしれない。もし私が―――

 この留守番電話を最後にしてテープは止まる。そして、電話がかかってくる。それはおそらく蓮田からの外線着信であったのだろう。
 結論として、蓮田は生きているのかそれとも死んでいるのか。部屋に帰ってきていたとしても頑なに受話器を取らなかった理由は何なのか。クリーニング屋からの連絡や管理室からの連絡などありふれた日常の留守番電話の中で、一つ異質なヨミチの会というものは一体何なのか。最後にかかってきた着信は本当に蓮田からだったのか。そうだとしたら、彼は三人の友に何を伝えようとしていたのか。不気味さがぬぐえない作品だった。「私」にとって友人であるはずの柿坂と菊本だが、読み進めているとなんとなく信用ができない。それは行方知れずの蓮田に対して、本当は何か知ってるんじゃないかと感じられたから。特に集まるように声をかけた柿坂は始めの部分は怪しさ満点だったと思う。事件性のあるミステリー小説なのかと思いきや、電話の持ち主である蓮田本人だと思われる声で意味深な録音が再生され、おや、これはホラー小説だったかなとも考える。実はヨミチは黄泉の地なんて意味があって、あの日の催しの取り止めに気づかなかった蓮田は一人で逝ってしまって、心配していた栗下という人物は止められなかったことを気にしていて、それが録音されている女性の声の主だったりして。題名の「声の巣」というのは恐らく白い電話機のことを指していて、録音を再生するだけの機械だったものが最後の着信により一気に息を吹き返したような描写が面白いと思った。最後の「私」は、まさに声が生まれる瞬間に立ち会えたのかもしれない。まあしかし、その鳴りやまない受話器を取ることはしなかったと思うけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?