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吉田知子「祇樹院」書評(1)(評者:佐野稜典)

ゼミの吉田知子回、4回生は「祇樹院」を読みました。

吉田知子「祇樹院」書評(『お供え』収録)

評者:佐野稜典

 この物語は主人公の「私」と雪乃が自動車で雪乃の親戚の家に向かう道中から始まる。二人は昼に食べた吉川の鰻の味について互いに感想を話ながら、雪乃の親戚の家に道に迷いつつも向かっていた。すると「私」はその土地には訪れたこともないのにも関わらず、見えてきた木造の建物に対して「ああ、小学校だわ」と自然に口に出した。さらに道を進むにつれて、見覚えのある建物が見え、地元の人間しか知らないような川に飛び込む度胸試しのことや製材所の火事などの出来事など知らない記憶が思い浮かんでくる。そしてある川が見え始めたときに「私」は吐き気を催すほど気持ち悪くなり、何故かあの川は危険だと感じた。その後、雪乃の親戚の家に辿り着き、雪乃の親戚である大野と世間話をしていると、祇樹院が話題に上った。「私」は祇樹院について知らないはずなのに、「行ったことがある、今はどうなっているのか」と質問してしまう。そして近寄らずに戻らなくてはという思いがありつつも、大野の勧めにより祇樹院に行くことになる。そして祇樹院にいた女が「あんたがうちの子を殺した。」と叫びながら追いかけてきたので、逃げようと雪乃に助けを求めるも、雪乃は「私」を拒絶し「私」を置き去りにして一人で逃げてしまう。
 この作品の冒頭は、「私」と雪乃の他愛もない日常を描いている。しかし話が進み始めると「私」が訪れたこともない土地の記憶が思い起こされていく様子が描写されていき、感じる違和感が徐々に大きくなっていく。そして大野が祇樹院を話題に上げた際に、「私」は近づきたくないという意思に反して祇樹院に行こうという大野の誘いに乗ってしまう。この時「私」だけでなく雪乃も祇樹院に行きたくなさそうにしており、大野の誘いは断るのはそう難しい状況ではなかったと推察できる。しかしそのような状況であったのにも関わらずに大野の誘いに乗ってしまっているという矛盾が日常から非日常へと踏み込み、もう日常へ戻れなくなったという、まるで気づけば底なし沼に足を踏み入れていたような印象を受けた。そして祇樹院に着いたときに祇樹院の内部の構造を細かく知っていたり、以前住んでいた若いお坊さんの顔を思いだしたりと、また自分が知らない記憶が次々に思い起こされる。最終的には祇樹院にいた女から逃げようと雪乃に助けを求めるも雪乃に拒絶され、祇樹院に置き去りにされることになる。この場面で雪乃は「私」が自動車の窓を叩いても、こちらを見ようとせずにこわばった顔で前方を見ており、そして全速力で自動車を走らせて坂道を下っていった。このことから「私」が幽霊のような存在になった、もしくはそもそも存在していない人物のようにも感じられ、「私」の存在自体があやふやになっていくような印象を受けさせられる。
 以上のようにこの作品は読んでいると、日常から非日常へと徐々に変化していき、気づけばある一定の閾値を超えており、それまでの日常が一気に非日常に傾いていくという様から、それまでの当たり前が保証されなくなるということを認識させられ、不安や焦燥感を読者に生じさせる。そしてこの生じた不安がこの作品に漂う何とも言えない不気味さをより引き立たせて、この作品の魅力を上げているように思われるのである。

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