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37歳で第三子を産む【妊娠初期】

37歳になってすぐ、子どもが嘔吐風邪にかかった。真夜中にいきなりベッドでリバースした4歳の次男を、次の波が処理しやすいようバスタオルを敷いたトランポリンに移動させ、ベッドの後始末をする。その日は、トランポリンのすぐ隣に寄せたソファで、次男が物音を立てるたびに洗面器を差し出しながら眠った。翌日からしばらく自分も気持ちが悪くて、これはもらってしまったかもしれない……と思っていたら、つわりだった。

過去最大のつわりと肌荒れ(当社比)

5年ぶりの妊娠は、加齢の影響もあったのかいままででダントツにつわりが重かった。寝ても寝ても眠い。第三形態のフリーザみたいに後頭部が重くなるのは毎度のことだったけれど、今回は首肩もガチガチになって、呼吸が全然できない。ちょっとの立ちっぱなしや入浴だけで、しょっちゅう貧血になる。仕事中は気が張っているから大丈夫でも、行き帰り40分程度の電車がつらくて、オンラインの案件が増えたのがありがたいなぁとしみじみ思った。

いつも6~11週くらいが一番しんどいタイプなのだけど、今回はその一ヶ月ちょっとが本当に長く感じられた。これまで比較的つわりが軽かったから(長男次男合わせて一回しか吐いたことがなかった)、戸惑いもあったと思う(今回は2回吐いた)。

もちろんもっと重い方々に比べれば私なんて言うほどでもない……と思う気持ちはあるけれど、当社比では充分厳しくて、でも夫が「今回はつらそうだね」と気遣ってくれるたびに「いやっ、世の中にはもっと大変な人がたくさんいるから……」と思っちゃう自分もいて、なんだかメンタルも忙しかった。身の置き所がないしんどさがあり、何もやる気になれなくて、仕事以外のほとんどの時間をベッドで過ごした。そのあいだ、もちろん育児は夫に丸投げ。こういうときにすべてを託せるパートナーだったからこそ3人目を持つことに踏み切れたなと、ベッドサイドランプをぼんやり眺めるしかできないような時間のなかで何度か思った。

あと、5週くらいのときに美容クリニックでうっかりシミ取りレーザーを打っていて、その跡が死ぬほど色素沈着した。「妊娠中は色素沈着リスクが上がる」って聞いたことはあったけど、これほどまでとは。それを皮切りに今回はずーーーーーーーっと肌の調子が悪くて、つねに頬ニキビができ続け、それが跡になり続け、鏡を見るたび憂鬱な気持ちになった。それもなんだか、初期のメンタルをまいらせたひとつのポイントだったような気がする。

一生忘れないと思う、長男の反応

妊娠初期のエピソードで忘れられないのは、赤ちゃんができたと伝えたときの、8歳長男の反応。長男のプライバシーに関わることをこんなところで記録するのはどうかなと思いつつ、私の人生にとってすごく大きな、不思議な光を放つような場面だったから、書くことを許してもらった。

長男は下の子ができることによる酸いも甘いも知っているからか、もともと「もう弟や妹は要らないかな」派。次男はそんなシビアなことはとくに考えておらず、シンプルに「赤ちゃんがいたらかわいいねぇ」派。
とはいえ、長男に冗談半分「もう一人、子どもができたらどう?」と聞いてみると「えー、もういいよ!」とか「できたら、そりゃみんなで育てるっきゃないでしょ!」とか、その日のテンションによっていろんなリアクションが返ってきていた。

そんななかで本当に妊娠し、そこそこのつわり。2週間ほど母親が原因不明の体調不良で臥せっている……という状況が続いたのち、8週あたりでまずは長男にだけ報告することにした。

とはいっても、もういろんなことを理解できる小3に、なんと打ち明ければいいかがわからない。喜びを強めに「赤ちゃんができました!」なんて言ったら、長男が喜びモードじゃなかった場合置いてきぼりにしてしまいそうだったし、かといって「赤ちゃんができちゃった」というニュアンスじゃネガティブに受け取られかねない。そもそも、そのときはまだ私たちでさえ子どもが一人増えることへの不安がわりと大きく、100%の喜びモードではいられなかった。だから「じつは、赤ちゃんができたんだ」と告げたテンションは、我ながらものすごく中途半端だったと思う。

その言葉を受けて、いつも陽気でノリのいい長男が、あからさまに複雑な表情を浮かべた。わ、どうしようと思いながら「どう? 不安かな?」と尋ねる。彼の表情に寄り添ったつもりではあったけど、ここで「不安」という言葉を私から使ってしまったのが、正解だったかどうかはちょっとわからない。でも、そうしたら長男は、複雑な気持ちを扱いかねるように「うん……」とうなずいた。

「どうして?」と聞いてみると、弟が一人でもケンカばっかりしちゃうのに、もう一人増えたらうまくやっていけるのか不安だという。「兄弟が増えて親の愛が目減りする」とか「部屋が狭くなる」とかより、兄として子どもたちをまとめていけるのか? と中間管理職のような懸念を抱いているらしい。

それなら、逆になんとかなりそうだった。だから「私たちも生活が変わるのはまだちょっと不安なんだけど、ワクワクもしてるし、基本はこれまでどおりみんなで楽しくやっていきたいと思ってる。だから、自分一人でまとめようとかしなくていいから、一緒に助け合ってくれたらうれしいな」的なことを言ったと思う。

そうしたら、長男はまたうなずいて。すっと私に腕を伸ばし「おめでとう」とハグしてくれた。この局面で、その感情のなかで、ハグとお祝いの言葉が出る長男があまりにやさしすぎて、思わず涙が出た。

4歳次男に言ったのは、さらにその2週間後くらいだったかな? シンプルに大喜びで、その様子もうれしかったです。

気持ちをきれいに整理しようとしない

ちなみに、自分たちが「3人の子どもを産み育てる」ルートを選んだ理由は、いまだに言語化できない。

10代のときからずっと「子どもの数は0か2」だと思ってきたし、2人目を産み終えたときは心底「これが最後だ」と感じていたし、子どもが特別好きだとも自分が子育てに向いているとも思わない。でも、35歳をこえたあたりから「3人育てる人生ってどんな感じなのかな」とか「私たちがもしももう一人産むとしたら、この数年が期限だなぁ」とかは考えるようになっていた。なんとなく「そういう人生もアリかも」と思っているのに、タイムアップで可能性をゼロにするのは抵抗があった。一人目のときも、そんな気持ちからすべてがはじまったように思う。だったら自然に委ねてみるかと思って、幸いにもここまでたどりついた。

この選択に至った理由をもっと掘り下げれば、それらしくまとめることもできるだろうし、そもそも職業柄ついきれいな落としどころを探してしまったりもする。だけど、もう理由を考えるのはやめることにした。なんか理屈じゃないようにも感じるし、事ここに至っては、理由なんてなんでもいいような気がしてきたから。

目の前にいる兄と弟は、同じように私のお腹から生まれてきたはずなのに、全然違ってどっちもかわいい。そんな存在があともう1バージョン見られるって、同じくらい愛しい存在が増えるって、どういうこと? すごすぎて想像ができない。そういう興味とかワクワクとか、不安とか緊張みたいな感情に、とりあえずいまはそのまま向き合っていられたら。

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