分けっこ

法事だとかお祝い事もそうですが、
1パックの会席膳が用意されることが多くなりました。
そのまま残ったものは持ち帰ることが出来るので
便利と言えば便利だし、気が楽ではありますが
味気ないのは確かです。

そんな時、子供の頃の事ですが、
両親は必ず何種類か、子供の好きそうな物を
優先的に残して帰ってきます。
そして夕飯には、細かく切り分けられた
小さな破片の様な幾種類かの惣菜が、
いつもの晩御飯に追加され食卓に乗せられるのです。

こんな彩で、こんな盛り付けで とか確認しながら
切り分けていくのは結構楽しくて、
味も こんな味付け と味見程度の事なのに、
分けっこして食べる と言うのは
其の頃の名残かもしれません。

豊かになって ひとり一つずつは当然で
分け合う事なんて滅多と無くなって
余ればごみ化し処分する。

いちいち分けるのも面倒だし、
みみっちくもあるし、人が見たってかっこ悪い。
体裁ばかりが優先し、人並みと言う価値基準、
生活水準が人の意識を支配して行くにつれ、
無くなって行ったものは 何処に行ってしまったんでしょう。

貧しかったから、誰もがお互いに持っていなかったから、分けっこで来た。
「無い」所に「有る」ものが出来たから、唯それだけの理由で
分け合うことが出来た。

今 思うのです。
ひょっとして、寂しさや悲しみや、どうしようもないもやもやや苛立ちを、
細かく切り裂いて、分け 押し付けてない?って。

そんな小さな些細な事の、
毎日の日常の中の、身体を通し空気を通し、記憶されたあれやこれやが
まだ私の中に一杯詰まっているのです。

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