開放されて 手放して

感覚の世界に閉じ込められ続けていると
其処から生まれる恐怖や不安に支配されて
身を守ろうとして 今在るものではないのに
身構え備えてしまいます。
そして今を生きるのでなく
未だ見ぬ 起こるかどうかも判らない
予測不確かな明日の為に 10年後20年後の
想定した自分の為に 今から計画的に
より自分で自分を規制し封じ込め
仕組まれた組織の中の歯車となって
契約を結んでしまいます。

架空のものだと 既に作られた虚構の世界だと
言葉では解る気がしても 実際感覚を触角代わりにして来た
ツールをなかなか立て替えられない。
痛いとか苦しいとか 重い 圧迫されるとか
そんな不安や恐怖を感覚から除去していく。

滝に打たれる仙人の様に 唯ただ無心になって
我を離れた境地に至れば、枠の外に出る事が出来る。
それは滝に打たれに出掛けなくても
意識を変える。 焦点を変える。 意識を変えれば
日々の生活の中でも可能な事ではないかと
少しずつ、ほんの微妙な違いでも

「いつか花咲く 実が稔る」の掛け声で
祈る気持ちでいるのです。

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