罰でなく

罪悪感は 罪と罰の一対から派生してきた言葉でしょうか
罪悪感の対語は 優越感なのでしょうか

一体どこから生まれたんだろうと思うと
”罪”自体 それって何なのと思ってしまいます。

法を犯す 悪事をはたらく 自責の念を抱いてしまう ”罪”と言う魔物の言葉。
そして”罰が与えられる””罰を与える”と言うおぞましい呪縛。

人間が人間の罪を決め 法という名の下に人を裁く権利を持つ。
権威を持たせる為に 何を行ってきたのでしょう

”他人の意識を操作する” もし”罪”と言うものがあるなら
そう云う事かも知れないと思ったりします。
良くも悪くも、故意に他の人の意識を変えてしまうことは
許される事なんだろうか と思ってしまいます。

もし”罪”の念 罪悪感を抱くなら、その反対側には”慈悲”と言う
言葉が対峙していても良いのに、
”慈”は楽を与え ”悲”は苦を取り除くと言うそうでは在りませんか。
              (藤堂明保:漢和大辞典より)
               

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