惨めな抵抗

お得感とかまではいかなくても
等価交換の価値を認めようとすると
其の基準となるのは、人それぞれ

私のように金銭の枠組みを外し切れない人間にとって
この金額に見合ったものかどうか
支払ったあと後悔しないかどうかが
多くを占めている。

自分へのご褒美だからといって
思い切った瞬間以外、
ちまちまと絶えず頭の中では計算を繰り返す。
しかも、百円、千円、万単位までが限度で。

例えばケーキ一つ思い浮かべても、
6〜8百円までが枠内で、
それも、3人程で楽しめる事を考える。

ホールで4〜5千円、1pでも4〜5百円程度が横行する現在、
こんな内輪話を晒してしまうこと自体、「恥ずかしい」事かも知れないのに。

けれどこうした毎日を抜きにして、
生活することを考えられないところに
今の現実の不条理さが有るようにも思えたりする。

或る人にとっては当たり前、
人によっては笑い話。
でも、そうだと、頷く人が少数でもいる限り、
納得できない、仕組まれた筋書きの中で
踊らされ捨て去られて行く
1pに過ぎないような感覚を持ってしまうのです。

何事も自分で作り出すことができれば其れに越したことはない
これまで人は知恵を振り絞り、多くのものを作ってきた。
人が作り出したものならば、同じ人間である私にも出来ないことはない。

そう思いながらも、横着が定着してしまった私には
もう全てを補うことには追いついていけないのです。

そんな事を思いながら、相変わらず、
ケーキもどきにならないかと
発想を自由に駆使して
手を動かしてみたりするのです。

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