共鳴

怒りや悲しみが大きくなり過ぎて
もう 抱えきれなく 耐え切れなくなる事があります。

何かの形にしなければ
何かの声にしなければ

もう自分では苦しくて 悲しくて 痛くて
破裂しそうに感じる時があります。

もう今は随分と 穏やかになりました。

ずっと燃え盛っていた炎は
下火となり 小さくなって

ローソクの炎ほどになりました

そんな思い しなくて済むなら したくはない。
感じないでいられるのなら 感じたくはない。

ある人は 病気に罹って健康の有難さが判る。
心の痛みが判って 成長する。 と言ったりします。

本当に判ってるのか??
大きい小さいではない。誰かと比べてではない

その人の 抱える事の出来る器の
感じ方の違いの
今居る世界の状況の

限られた 囚われた牢獄の中から聞こえて来る
叫び声やうめき声が

私の中に わずかな振動として
まだ残っている。

そしてそんな声や叫び声に
共鳴してしまう自分が

まだ 時々 顔を出して来るのです。

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