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再び


ただいま
おかえり
ありがとう


やはり 私は根っからの普通人間であるらしい

特に何に秀でているというのでもなく
何かに特価して才能があるとか、特技があると云うのでもなく
優秀に憧れつつ落ちこぼれに怯えていながら、
ぼーっとしたまま、ぼーっと生きて来たような気がする。

それを、再認識したと云うか
ならば、徹底して普通人間としての生き方、楽しみ方を
思う存分味わってみると開き直るのはどうかと、思ってみる。

もう何万回も転生するたびに
殺戮も紛争も、貧困も傲慢も、人種差別も階級格差も・・・
あらゆる感情を生きて来た。気がする。

だから、今生ではすべてにおいてごく普通の
人間として、生き方として、人生・生きる事を選んで来たのではないかと思ってみると、
無理して人間をつくろってみる事も、
絶えず今の立ち位置を気にして生きる必要も
無いのではないかと思えて来る。

そんな普通人間の自分自身を
愛したことがあったろうかと
そんな自分を抱きしめたことが有ったろうかと
思い留まってみてみると、涙がこぼれ落ちそうにもなるのです。

今一度自分に還り、在るがままの自分で生きてみたら
それはそれで面白可笑しな人生を生きることも出来そうだと
思える様にもなって来た。

遅まきながら、遅すぎながら、
それでも、今からでなくては
もっと“今”が遠のいて行くばかり。

手離してみれば身軽になって、
世の中まるっと何でも有りの
嬉しい世界にも見えて来る。

それでも相変わらず、私は日々微妙に変化し続けて、より変な人になりつつあるらしい。
物の見方考え方に、少しずつほどけ目が見えて来て、見通す事の出来る針の孔ほどの空間が、有る様な気もしてくる。
これまで知らなかったあれやこれや。気付きもしなかった視点、捉え方などが、まだまだ想像できない程にもあるのだと、更にさらに思い知らされたりするのです。

私は今の現実の中では変な人、変わったところのある人であるのかも知れないけれど、自分にとってはそんな自分が、全くの普通人間だと感じているのだからそれでいい。
もう重い窮屈な殻を壊しながら、より身軽に、もう阿保になって生きてみれたら良いなと思うのです。

そんな私のあれやこれや、書かずにはいられない、黙ってはいられない私の我慢のなさに、交感できる方達がいて下さったら素敵だなと思っています。

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