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「あきらめる」のサイクル

私は「諦めるな」という言葉も「諦めろ」という言葉もなんか気に食わなかった。

ドラマや漫画、歌などでも多くの人が夢を追う中で「諦めるな」と訴えているけど、諦めないでいることはとても大切なことで自分の人生を豊かにすると思えば「諦めない」ことはすごくいいことに思える。

逆に、夢ばっかり見ずに現実を見ろ!と「諦めろ」という言葉もある。
諦めが肝心…なんて言葉も昔からあるぐらいだし、確かになかなか諦められない立場にいると、思い切って諦めることも大切なのだと思う。



…で、結局生きていく中で「諦める」「諦めない」どっちが正解なんだよ。
どちらを選択すれば人生って豊かになるんだ?

そう思い悩む人生での岐路が訪れた矢先、プロ奢ラレヤーのとあるnoteをみた。
私は、そのnoteをみて人生における視野がぶわっと広がったみたいに今まで「諦める」と「諦めない」の間で揺れていたのがすごく馬鹿らしく思えてきた。



そもそも、「諦」という字の意味を理解していなかった。
「諦」という漢字には、文字通り「あきらめる」という意味があるが、それ以外に仏教における「真理」や「悟り」を意味する字でもあるみたい。本来の意味は、「物事の本質をしっかり見極める」「物事を明らかにして悟る」だそう。

つまり、「諦」は「本質をあきらかにする」という意味が含まれているのか…深いな…
そう考えると、「諦める」「諦めない」という言葉もネガティブな意味でないような気がしてきた。

「諦める」も「諦めない」も、その決断に至るまでの状況を明らかにする勇気が大切なんだ。


物事の本質をみる
その本質を受け入れる
対策を立てる
行動に移す


このサイクルを繰り返すことが人生を豊かにし、新たな人生観がみえてくるヒントではなかろうか。


そのうえで、「あきらめる」のは「物事を明らかにして、本質を見極めることで、本当に大切な物がみえてくる」のだと。




なにが自分にとって大切なのか。
本質をあきらかに見ることで人生豊かにしたいものである。


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