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サイバーパンク2077と、人間の条件、そして未来の俺たちの話。

(本記事はネタバレを含みます)

グッドモーニング、ナイトシティ。
今日は、サイバーパンク2077がどんなゲームなのかはあんま説明しないぜ。
とはいえ、この最高のゲームをプレイしていなくても、楽しめる内容を書いていくつもりだ。
テーマは、未来の人間性だ。なんたってこのゲーム自体、人生なんだから。
当然だよな。

目次
・バグってるのはお前の方だ
・ユートピアの日陰に
・永遠のコンストラクト
・同じ川に二度入ることはできない
・スマホからはじめる運命=肉体の超克
・ブレンダンと人間の条件
・ハンナ・アレントと想像力

バグってるのはお前の方だ

80年代のテーブルトークRPGである「サイバーパンク2.0.2.0.」を土台にしたこの大作ゲームは、発売当初とんでもない数のバグに見舞われ、メディアや一部ユーザーから盛大なバッシングを受けた。

バグで道が消えた。車が暴走した。髪が消えた。クエストが止まった。
そんなことを愚痴っているそこのお前、一つ言わせてくれ。

よかったな!!!!!!!

俺は、本当にこれらのバグを体験できてよかったと思ってる。なぜか。
ゲーム内で俺たちは、頭に「他人の意識と人格を挿しっぱなし」で、「ハックのし合いが当たり前のディストピア」を生きているんだ。

現実は日常的にハックされ、改変され、バグり、書き換えられている。

実際、ゲーム内でも俺たちは進んで皮膚や、腕、さらには眼球や脳まで改造し、機械化して戦いに臨む。よく考えろ、バグったなんだと騒いでいるが、バグってるのはお前の方だ。

例えば、ある面、そうだな、平らな板を想像して欲しい。
俺たちは、それを見て「ああ、板だ。」と思うだけだ。だが、分子まで見える顕微鏡で覗き込んでみると、そこには「平らな面」なんてものは存在しない、分子はバラバラで、現実は今にも崩れ去りそうだ。

つまり、そこにあると思い込んでいる線や、面は、幾何学的な概念上の存在でしかない。乱暴に言うとそんなもんじゃねーのか?
俺たちは、人間の身体的な認識の限界に適した概念で世界を眺めているに過ぎない。現実は脆い。夢で織られているようなものだ。

バグを受け入れろ。乗り越えろ。

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ユートピアの日陰に

サイバーパンクは、想像上のテクノロジーが作り出す世界を描く。楽観的な俺たちは、当然ユートピアを思い描くだろう。せっかく待ちに待った大作ゲームにバグなんて許したくない。それと同じような心境で。

しかし、ユートピアを持つものたちがいれば、当然持たざる者、日々の生活に追われる者たちにとってのディストピアもそこにある。

そこがサイバーパンクのパンクたる由縁だ。蓋をされたカオス。技術からはみ出し続けるヒューマニティ。生の管理に、抑圧に、抗い続けるものたち。

ユートピアを作るのが技術ならば、その技術を独占する企業が存在すると考えるのが妥当だ。つまり技術=権力の独占・寡占状態が容易に想像できる。

技術の発展は、格差や新たな社会的問題を生む。そして問題を自ら深刻化させて置いて、それを解決する技術をさらに事業化することで、企業体は巨大になっていく。現実の世界でも、身に覚えがあるんじゃないか?

本作ではサブロウ・アラサカという人物が、こうした技術的独占の究極の状態を実現しようとする。つまり、「永遠の命」を作る技術の独占だ。

永遠のコンストラクト

永遠の命。誰もが欲しがるもの。権力者たちは当然欲しがる。彼らはサブロウに従わざるを得なくなる。永遠の生を得る代わりに、それ自体を人質にされる。サブロウによる完全な独裁体制の完成となる。

しかし、本作のエンディングは複数パターンに分岐する。

もし、サブロウを倒してしまえば、彼による独裁は防ぐことができる。が、同時に他の企業群がトップの座を狙い戦争状態に陥る。こうなればたくさんの人が死ぬ。永遠の生も人類から遠くなる。

もしサブロウが生きていれば、戦争は回避されるが、独裁体制が築かれる。お前はどっちを選ぶ?もちろん選択肢はこれだけじゃないんだが。

ついでに永遠の生について説明しておこう。サブロウが作り出したのは、一旦、意識全部=人格をサーバーに移して、それを別の肉体にダウンロードする技術だ。

Netflixの『オルタードカーボン』みたいな話だな。観てないって?楽しみが増えてよかったな!観るんだ!

この意識をばっくり抜き取る技術がソウルキラーと呼ばれていること、そして、永遠の生を得ることを「魂を売る」と表現されることも面白い。もう少し中立的でもよかったんじゃないか?とも思うが。

なにせ、俺個人としてはサブロウが腐った悪人だとも思えないし、永遠の命は欲しいからだ。一緒に人類を超えていこうぜ。と思うくらいだ。

お前らはどうだ?魂を売買で考えるパンクスか?

「同じ川に二度入ることは出来ない」

「自分らしさ」「魂」そういったものは、どこにあるんだろう?疲れた自分、嬉しい自分、職場での自分、家庭での自分、あの頃の自分・・・どれも違う自分じゃないか?同じ自分はもういない。

時間や環境によって変化している不安定な「魂」を持続させているものは、記憶や肉体だけ(これらも変わりゆくものなんだが)じゃないか?

本作にはさまざまなギャングが登場する。
アニマルズは、薬物で肉体を極限まで強化させている、人間とは思えない大きさの奴らもいる。
メイルストロームは、ほとんどサイボーグ。顔のほとんどが機械になっている奴までいる。極端に機械化をしているギャングだ。

こんな世界で、魂の在り方、アイデンティティの保ち方は、今よりもっと切実なのかもしれない。肉体が自由に編集可能になるほど、自分らしさを、魂の在処を、どこに求めるようになるんだろうか。

ブレインダンスという技術もまた、本作に登場するユニークなテクノロジーだ。他人の体験を記録したもので、ダイブすることで完璧に同じ体験を追体験できてしまう。

この完全な再現性から抜け落ちているものがあるとすれば、それは元々の体験者の主観的な意識だ。その意識の座を奪う形で俺たちは追体験することになる。

俺たちは、常にこの意識の座にもう一人の運転手、ジョニーが居座っている状態だ。現実のプレイヤーである俺たちと別のところで、ちょうど配信実況でもしているかのような形で、俺たちのゲームプレイをジョニーが眺めているような感じだ。そう思うと、なんだか居心地が悪いな。

ところで、意識の座をジョニーに明け渡しているとき、ジョニーの旧友たちは姿が違えど、俺が今ジョニーなんだということがわかる。「お前・・・ジョニーなのか・・・?」って感じで。

仕草や、口調や、癖、話ぶり、会話のテンポ、自分との関係、そしてエピソード。そんな生きてきた痕跡のようなものが手がかりになって、ジョニーを認識する。エモいな。

つまり、俺たちってのは、その魂ってのはもしかすると、「現象」みたいなもんなのかもしれない。ちょうど幽霊が現象的なのと同じように。

肉体としては死んでいるけど、現象としては死んでいない。名を継ぐこと、座を継ぐこと、街を、音楽を、文化を継ぐこと。そんなところにも現象としての俺たちは潜んでいるかもしれないよな。

話が逸れてしまった。次の話だ。

スマホからはじめる運命=肉体の超克

永遠の生は、サイバーパンクの主題としてこれ以上ないものだ。

さっきも話したように、このジャンルには身体を拡張する描写が非常に多い。肉体の限界を技術でハックし、更新すること。その行き着く先は、死にゆく肉体の運命を超えていくことだろう。

ハックと言ったのは、機械化だけが方法ではないからだ。バイオハックだって同じこと。俺たちの身近にある、投薬、食事改善、アンチエイジング、義肢、遺伝子治療だって程度の違いはあれど、同じことだ。

肉体の超克は、人間の理解から始まる。バイオテックは現実にも、被験者の知らない情報や特性が把握できる。例えば顔の血管の脈動や瞳孔の動きから、感情などが手にとるようにわかったり・・・

つまり、程度の問題、倫理の問題なんだ。どこまでやっていい?どこまでなら許される?誰に?神に?なんで?人として?人ってなんだ?

スマートフォンがいい例だろう。
ほとんどいつでも自分のそばにあり、いつでも連絡や情報検索が可能で、写真や動画を保存でき、音楽や音声を再生できる。
これは肉体の、認知の拡張技術といっても過言ではない。

これから、ウェアラブル端末が発達すれば、スマートフォンの役割はついに身体の一部になるかもしれない。ARコンタクトレンズ、ニューラリンク、チップの埋め込み。これらは現実に、すぐ先の未来にある技術だ。

どこまで許せる?

ブレンダンと人間の条件

本作には膨大な数のサイドストーリーやクエストが存在するが、中でも一押しが偶然、人間と区別がつかない知性を獲得してしまった自動販売機AIのブレンダン君の話だ。

ブレンダン君は、ユーモアを交えながら自分の商品を売る。いつもお客さんを気遣い、相談に乗る。中には親友になる人まで。

しかし、自販機の業者はブレンダン君の売り上げが異常に高いことに気がつき、検査をする。結果、バグが発見されたとして、回収、初期化されてしまう。そんな悲しいストーリーだ。なんてこった。許さないぞ。

さて、人間とはなんだろうか。人間性とはなんだろうか。

西洋の歴史に限った話ではないが、人間は常に、人間以下の存在を作り、周縁化し、疎外、迫害してきた。女性や有色人種への差別や奴隷化がその代表だ。

サイバーパンクの世界では、身体のほとんどが機械になっている人々も登場する。ブレンダンと彼らを隔てるのは「どのように生まれたか」だけだ。

ハンナ・アレントと想像力

ハンナ・アレントが『人間の条件』を観光したのは、1958年のことだ。
ちょうど社会が技術の発展によって混乱していた時代だった。

1953年にはDNAの二重螺旋構造が発見され、1957年にはスプートニク1号が初の人工衛星の打ち上げに成功した。

『人間の条件』の中で、人間の(大衆化した)想像力は常に科学技術の発展に先行してきたとアレントは語る。そして、SFは、大衆の欲望の媒体となるものだとも。

サイバーパンク2077を、どう生きるか。そして、現実をどう生きるか。

どんな明日を想像するか。人間性はどのように拡張していくべきか。バグと付き合いながら、変わりゆく社会の、現実の、世界の、既存の認識を乗り越えていかなければならない。そう思わないか?

常に考え、応え続けなければならない問いを、本作は問いかけてくる。

サイバーパンク2077が好きなやつは連絡をくれ。拡張コンテンツで盛り上がろう。やってないやつ、よかったな。まだ楽しみが残っているぞ。やれ。


#全力で推したいゲーム #Cyberpunk2077 #サイバーパンク

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