カタチに残すということ
おはようございます
とあるカメラ屋さんの店長です。
通勤で電車に乗っていると、真新しいスーツを纏った新入社員と思われる方々を
見るたびに、春が飛び込んできたなと感じます。
期待や不安、様々な感情を混じらせながらこれからの新生活を歩んでいくのですね心の中で思わず「頑張れ」「楽しんで」「気負いし過ぎないでね」と親心で見てしまう自分にこういう立場で見るようになったんだなと思います。
さて、「カタチに残すということ」と題しました
写真というコンテンツは今やスマホやPCでしか見ることのないという方も
多いのではないでしょうか。
大量情報社会の中で、写真は膨大な量となっています。
簡単にキレイな写真が撮れ、スマホという常に持ち歩けるカメラも存在し
SNSなどでは指さき一つでスルスルと写真が流れていく。
もちろん世の流れなので否定することしませんが
カメラ屋さんで働いている身としては少しばかりか寂しいなとも感じます。
働いていると、写真をご注文したお客様はその仕上がった写真プリントを
手に取り「うんうん」とか「よく撮れた」とか1枚のプリントを愛でるように
お持ち帰りされます。
手にとって触覚で紙に触れ、物理的にプリントされた写真はそれだけで
「力」があると思っています。
そこには1枚の写真を見る「時間」が必然的に生まれることで
写真を撮った時に自分の中で「感じたもの」に触れられるからです。
そういった反応を見るたびにやはり「写真は良いもの」だなと毎度私も
「うんうん」と心の中で頷いています。
みなさまのスマホの中には何枚写真がありますか?
気が向いた時で構いません
どこでプリントしても構いません
1枚だけでも全然いいです
プリント、してみませんか。
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