素敵な誘導

映画につけても、小説につけても、伏線を残さずきっちり回収する作品が好きである。
伏線をばらまいておいて、いくつかだけが真相に関わる話でしたとか、話の途中で出てきた不可解な事件のうち、いくつかは最後まで見ても結局なんで起こったのかよく分かりませんでしたとか、そういうのは好まないのである。

そういう意味で、子供も楽しめるディズニー映画は、話の筋が実にはっきりしていて好きだ。話がシンプルでも、やはり伏線をしっかり回収するスタイルでよろしくお願いしたい。まぁ、ハッピーエンドのお話の場合、あの後どうなったんだろう?なんて思っても、丸く収まっただろ!みたいな思考停止が起こってるだけかもしれないが。

逆に、伏線の回収が甘くなりがちなのがSF映画である。SF映画を借りて観るのが趣味でたくさんの本数を観てきた今までの経験をふまえると、SF映画で伏線が全て(一回見ただけでちゃんとわかるように)回収される映画は激レア、UR、柄スーツを着てNHKに流れる都知事くらいレアだ。


何でSF映画はそんなことになるのか……は、後でお話するにして、私の、伏線がしっかり回収されるの大好き傾向は、数学の問題につけても見られるようである。
大問最後の問題を解いたとき、全ての問題がひと続きに繋がる。この感動よ!そんな問題だったことが最後にわかると、ものすごく嬉しくなってテンションが上がってしまい、解き終わった時ニヤニヤしている。SF映画では激レアなこの流れには、入試問題を集めた問題集を解いていれば、SF映画よりはるかに高頻度で出会うことが出来る。


それは、いわゆる、数学の誘導問題である。

誘導の種類

誘導の方法にはいくつか種類があるような気がしている。名前は勝手につけただけなので気にしない。

鎖状誘導型
(1)の答えが(2)を誘導し、(2)の答えが(3)を誘導する誘導方法。
(2)や(3)をいきなり聞かれるとちょっと困るけど、(1)の考え方を延長すれば解けそうだ、ってなる。

オーソドックス。

二兎誘導型
(1)、(2)と最初の方は独立していそうな問題が続くが、(3)で(1)と(2)の両方の考え方を用いることを示唆する誘導方法。

「そうやって使うのね…!」って、解答作成中に楽しくなる。

秘密箱誘導型
レベルの高い問題になってくると出てくる。
(1)でどんな単元の問題なのかわかる。(2)で脈絡の無さそうな問題が出てくる。(3)は単体で見ると難しそうだし(1)及び(2)が誘導に使えそうにない。しかし、(2)を上手いこと解釈できると、(2)が誘導に変わり、(3)の答えを導いてくれる。

広島大の問題はこういうのが多い気がする。
私は大体解けないので答えを見て「えぇ~!?」となるなどしている。面白いけど難しい。

型破り誘導型
鎖状誘導型の問題でよく出てくる誘導問題と同じような問題を(1)で出しておきながら、鎖状誘導型の解き方で解いていると(2)以降が答えられないという、型破りな誘導方法。

(2)以降の問題も予め眺めておき、(1)の解き方から工夫しないといけない。よくある解き方からちょっとアプローチを変えるところが面白い。


誘導の存在意義

数学に限らず、映画につけても、小説につけても、その世界が始まった瞬間、我々は何も知らない。どんな舞台で、誰が出てきて、どんな未来が待っているか、見当もつかない。
そこで、私たちは読み進め、鑑賞する。予測しながら、理解しながら、世界に入り込んでいく。

その足がかりになるのが、たとえば数学の誘導問題。映画や小説ならば、ケースや裏表紙に書かれているあらすじなのだと思う。
広大な世界に、数本の線を引いて囲って、ここの範囲の世界の話をしますよ、と、教えてくれる存在だ。ヒューマンドラマですよ、恋愛物語ですよ、条件の同値変換ですよ、と。


誘導問題は、試験問題の冊子をめくった私たちに、この単元のこんなことを話題にした問題ですよということを、教えてくれるのである。


とはいえ。
そう簡単に教えてくれない、レベルの高い問題だってある。世界観を掴ませてくれない問題だ。

秘密箱誘導型の問題なんか特にそうだ。そう、あの、一見誘導してくれてるのかわからないやつ。あれは……私個人的にはそういう問題は奇抜だと思うし、ああいうのって良問になるか、えぇ…みたいな問題になるかが紙一重になっている気もしないでもない。現に、秘密箱誘導型の問題で、えぇ…みたいなものに遭遇したこともある。

秘密箱誘導型であまり美しくない誘導だと私が感じる問題は、若干誘導の仕方に無理矢理感がある問題である。(3)でひらめきが必要、ちょっと捻らないと解けないようになっている問題だと、(2)のヒントの出し方、すなわち誘導の仕方が肝になる。教えすぎてもダメだし、かといって教えなさすぎると問題のレベルが高くなりすぎる。
その辺をミスると、たしかにヒントにはなってるけど、もうちょっと違う出し方なかったの…なんて思うことになる。

SF映画における誘導

ところで、SF映画の伏線回収が甘いのは、これによく似ている。
SF映画は、現状実用化に至っていないか、存在していないような科学技術を題材にするものがほとんどだ。当然最初に見ている私たちは、なにがなんだかわからない。
だからSF映画はその舞台設定を説明する必要があるのだが、多くのSF映画はその設定を本編ですぐに明かさない。よく分からないけどこんな世界がある。でも、どうしてそうなっているか分からない。とか、謎の飛行物体が来たが、何しに来たか分からない。とか、とにかく最初に「不可解さ」を全面に押し出す。
そのあと、話が進むにつれて、その不可解さに説明が出来るようになっていく。少しずつ少しずつわかっていって、視聴者が自分で理解できるような、でもそれでいてちょっと謎の残るようなヒントを与えていって、最後、どーんと全部がわかるか、その謎についての視聴者の仮説を確信に変えてくれそうな終わり方をするか……圧倒的に後者が多い。
…それはもちろん、伏線をしっかり回収する激レア映画の中で、そういう傾向があるというだけの話だ。
ほとんどの映画は、最初に押し出した「不可解さ」があまりにも強烈すぎるせいで、しっかりとした説明を付与できずに終わることがほとんどなのだ。

数学の問題で、捻った発想が必要な(3)にヒントを出す、(2)の作問が難しいように。

SFという、なるべく目新しい世界観が求められるジャンルで、「不可解さ」に確実な説明をつけるのは、そもそも制作陣にとっても難しいのだと思う。完全な空想世界を描くSF映画なら尚更。
それがたとえば『ガタカ』(デザイナーベビー)、『インターステラー』(ペンローズ過程とか特異点定理とか)…と現実的に研究が進んでいるテーマのSF映画ならば、比較的見応えのある、少し凝った演出をしても伏線は回収してくれるような映画に仕上がりやすいのかもしれない。
この映画たちは好きなやつ🥰


世界の説明

誘導を通して構築していく数学の世界と、映画や小説といったひとつの物語世界には、似たところがあるなあと思った次第であった。
以下、私の好きな言葉。

『(前略)数学的に正しい主張とは、常に完結した、バランスのとれた小宇宙です。』

﨑山 理史、松野 陽一郎 「総合的研究 記述式答案の書き方」旺文社


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