社畜が仕事を辞める時。〜自分の体と向き合う〜

こんにちは。

皆さんは今、働いてますか?正社員やパート、フリーランス等今は働き方が多様化していますね。

私が就職した2008年も、そういった働き方の多様化が徐々に認識されてきていましたが、地方の四年制大学を出て正社員以外で働くということ以外、私の頭にはありませんでした。
当時、コンビニでアルバイトをしており、食に関わる仕事・小売サービスに関する仕事に楽しさややりがいを感じていて、本部のバイヤー職を志すようになりました。

某食品スーパーに内定を貰い、そのまま就職。はじめは現場での商品管理からスタートでした。
私の場合、同期に大変恵まれ、研修の後は必ずみんな集まって飲みに行ったり、店舗に配属された後も連絡を取り合って仕事の悩みや愚痴をたくさん聞いてもらいました。辞めた今でも、あの頃は同期との繋がりが支えだったと強く感じます。
スーパーはブラックだ、とよく言われますが、本当にその通り笑。残業時間はあってないようなもの…休日出勤も当たり前…上司が帰らないと下っ端は帰れない…等、よく耳にするアカンやつのオンパレードでした。
その中でも仕事を続けられたのは、やはりその仕事が好きだったから。商品を並べてお客様に手に取ってもらえる、自分が売り込みたいと思った商品が思ったように売れてくれる、それが売り上げや利益などに数値化されていくことにやり甲斐を感じていました。楽しかったなぁ〜
悔しい思いもしたけど、その分成果が認められた時の喜びは一入でした。

12年勤めている間に、下っ端社員から部門責任者にまで昇格することができました。一応、下っ端管理職です笑
責任が重くなればなるほど、プライベートと仕事の境界を作ることが苦手になりました。休みの日でも仕事のことを考えて、シフト通りの時間で出退勤することが出来なくなり、サービス残業をしないとダメな責任者なんじゃないかと変に自分を責めるようになりました。周りに何か言われたわけではないけど、定時で帰ったり休みに休んでる部門責任者が居なかったこと・子供の用事などで休んでる社員の陰口を聞かされるうちに自分の中で変な価値観が出来上がってしまったことが原因かもしれません。
どこかで「こんなんじゃ良くない。ダメだ。どこかで変わらなきゃ」と自分の中で思ってはいても、行動に移せずにダラダラと同じ働き方を続けていました。

2018年秋、次年度の新規プロジェクトに参加するため引越しを伴う異動が決まりました。プロジェクトリーダーは顔見知りでしたが、他は誰も知らない…住んだこともない土地への引っ越し…不安もありましたが期待の方が大きかったです。年齢も33歳、ここで次のステップへ進みたかったんです。最後のチャンスだと思いました。
この異動先で、今の夫と知り合いました。プロジェクト始動までは現場を離れていたので、これまでの[サービス残業・休日出勤]の生活から束の間ですが脱出できていました。その間に、彼と話し合い、プロジェクトが落ち着き次第籍を入れようと話を進めることができました(振り返るとトントン拍子どころかホップステップジャンプぐらいの勢いで話が進んでますね🤣)
ところが、プロジェクトがスタートするとまた社畜生活の始まり。。朝7時から職場に行き、昼休憩も15分弱でお弁当をかっ込み、夜は22時まで仕事してるなんてザラでした。

そんな中、仕事中に下腹部の痛みを感じるようになりました。生活や仕事に支障は出ませんでしたが、痛みが続くことに違和感がありました。元々、婦人科に通院していたこともあって、先生に相談し、検査を受けました。結果は、左の卵巣に水が溜まって腫れていること・子宮も腫れていて子宮腺筋症と呼ばれる状態だということが分かりました。2019年12月のことです。スーパーの繁忙期は年末年始。特に大晦日は、当日もたくさんのお客さんが来るのでお店は大忙し・翌日の元日セールの準備で、職場で年を越したこともあります。彼と話し合い、年明けの年度末で退職することを決めました。幸い、プロジェクトリーダーは私の仕事に対する思いや働き方を誰よりもわかっている人だったので「結婚するんなら、きっちりここで辞めて、まずは自分の生活を整えろ」と言ってくれました。有り難かった。
こうして、2020年2月末をもって、12年勤めた会社を寿退職しました。

仕事のために生きてきたような20代で、彼氏がいたのも新入社員時代だけでした。その彼氏と別れたきっかけも「同じ新入社員なのに私より彼の方が責任の重い仕事を任されている。悔しい」と愚痴をこぼしたことで関係が上手くいかなくなりました。完全に私の嫉妬です。それからは、好きな人が出来ても休みが合わずデート出来なかったり、連絡が上手く取れなかったり、会っていても眠くて途中で疲れてしまったり…余暇に回す体力も気力もありませんでした。
27歳の時に、子宮頸癌の定期検診で引っかかったこともありました。1年間、経過観察をしましたが問題はなく、症状も悪化することはありませんでした。
30歳の時に、更年期障害のような症状が出たこともありました。ご飯を食べると首だけすごく汗をかくようになり、喉がドクドクする感じや顔が火照ったように感じることもありました。異変に気づいたのは、休日に遠方の母が遊びにきてくれて、一緒にラーメンを食べている時でした。肌寒い10月中旬で長袖にアウター1枚羽織るくらいの体感だったのに、ラーメンを食べながら汗をダラダラかく私を見て、母が変だと気付いたのです。その後も、外を歩いていて風が冷たいのにアウターもストールも外した私を見て確信したようでした。別れ際に「あんた婦人科通ってるなら相談してみなさい」と言われました。おそらく、仕事のストレスによるホルモンバランスの乱れが原因だったのでしょう。漢方を処方してもらって数日飲んだら症状は落ち着きました。

体の異変は、いろんなところで出てきていました。それでも無理して働き続けたのは、やはり仕事が好きだったんだと思います。

今でも、自分で体の限界を知って、仕事をセーブ出来ていれば、結婚後も仕事続けられたのかなってどこかで思ってます。でも夫は「俺は共働きになったからといって家事を分担するなんて器用なことはできない。から、君が家事が好きで家にいることが苦痛でないのなら専業主婦でいてくれて全然構わない」と言ってくれてるので、完全にお言葉に甘えております‼︎笑

20代の頃から悩まされていた婦人科系の体調不良も、子どもの妊娠・出産には大きな影響はなく、自然妊娠・普通分娩で産むことができました。あの時、彼とお付き合いしていなければ体の異変に気づくこともなかったかもしれない…気付いていても無理して仕事を続けてしまったかもしれない…(もしあのまま症状が悪化していたらチョコレート嚢胞などになる可能性があったそうです😨)

色んな偶然が重なって、今の私があります。
どんな選択も間違いじゃなかったと思いたい。でも、選ばなかった方の選択も決して間違いじゃないと思いたい。どの選択も、今の私を作ってくれたカケラのひとつひとつなんだと思いながら、生きていきたいです。

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