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黒澤明「まあだだよ」感想


『まあだだよ』(黒澤明監督/大映・東宝他/1993年)フランス版ポスター



出た出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が
焼け跡に出た大きな月。涙が出るのはなぜだろうか。


「美しく強い」日本はどこへ行ったのか。底抜けに明るい彼らは存在したのか。今はどこにいるのだろうか。


黒澤明の「まあだだよ」を観た。

「先生」と、かつての男子生徒たちの数十年の物語。
戦前、戦中、戦後がさらりと描かれ、時々で暮らしぶりは変われど先生と妻、生徒たちは酒を注ぎ、語らい、歌う。
また出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が
「先生 戦争中、お月様なんていうあんないいもんがあるの、忘れてましたね」


先生は愛すべき人物だ。大きな満月のように笑う。賢くて無邪気。空襲の中方丈記一冊だけ懐に持って焼け出された。飼っていた小鳥たちはせめて家の鳥かごで死なせてやろうと、放たなかった。放したとて、花火のように降る焼夷弾を逃げ惑うのだ。


摩阿陀会には彼を慕う生徒が何十人も集まる。ビールのジョッキを一息に飲み干し、控えた生徒が酒をつぐ。「先生あれやりましょうよ!オイチニ!」「オイチニ!オイチニ!」大声でどんちゃん騒ぎ、スピーチをし、拍手する。先生の説法に皆大きく笑う。

「この糞ぢぢい、まだ生きてゐるかと云ふのが今晩の摩阿陀会です。まアだかいとお聞きになるから、私はまアだだよ、とかうして出てまゐつたわけであります」
祝いの最中に突如喪服と葬列が現れる。白装束の死体に扮した生徒が飛び起き「まアだかい」日の丸の扇子を振る。「まアだだよ」「まアだかい」「まアだだよ」「まアだかい」GHQも呆れて帰る、大合唱と人の波。

妻は必要以上を話さない。酒を注ぎ、料理を出し、いつも気丈に笑って座る。


ホモソーシャル、コンプライアンス、ハラスメント。
一言で表してしまえばおしまいだ。彼らの生は横文字で一笑に付される対象なのか。人の死は時代とその記憶の死だ。私たちはそれらの言葉と引き換えに何を失ったのだろうか。


焼け出されたあばら家、庵、池のある庭、空襲の瓦礫、焼け跡にはジープが走り、街角にリンゴの唄が流れる。
景色は移ろう。人混みも移ろう。
人の生は流れる水のように、失い、慣れてまた失う。
人は心に風景を持つ。黄昏のあぜ道、稲俵、遠くのわらべ歌が聞こえ、昼の陽光を閉じ込めたあたたかい稲に稲子が飛ぶ。ああ、そう言えばかくれんぼをしていた。

日が暮れて、思い出すのはいつでも理想郷だ。思い出されるものはいつも。


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