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自閉症とわたし @世界自閉症啓発デー

私は高機能自閉症。らしい。
IQの低下が伴わない自閉症をそう呼ぶのだと言う。

私にとっては生まれつきこの状態なので、人と違う呼ばれ方をするのが不思議だけれど。

そもそも、私がクリニックの門を叩いたのは、
働き始めた20代前半、職場に存在していた派閥を理解できずに浮きに浮いたから。
昔から【察する事】や【人の目を気にする事】が極端に苦手だったけれど、社会人ではそれが死活問題で、さすがに自分の共感性の乏しさに「何か私はおかしいのかもしれない」と思い至った。
数ヵ月にわたる筆記や脳波のテスト、問診などを経て、カルテには「高機能自閉症」と書かれた。

診断確定になった最大の特徴は、私が泣かない赤ちゃんだった事が母子手帳から分かったから。
お腹が空いても、お昼寝から目覚めても、おむつが濡れても、母親の姿が見えなくても、泣いて知らせようとしない。

幼稚園の頃、マイペース過ぎて通園バスに乗れなかったり
小学生の頃、忘れ物が多すぎて全ての教材がランドセルに入ってたり
中学生の頃、自室の壁に無断で大きな絵を描いたり
高校生の頃、親と喧嘩して飛行機で逃げて1ヶ月も帰って来なかったり

周囲をドン引かせた行動は枚挙にいとまがない。

「こんな事、普通はしないよ」と言われても
言葉の意味が分からない(他の人がするかしないか、何故私に言うのだろう…)ので
「ふぅん」としか言いようがないし。

しかし、きっと皆さんは驚くだろうが、上記のような突飛な行動で困った事は一度もない。

通園バスに乗れなくても、1時間歩いて花を摘み虫を愛でながら通園していたし
全教科ランドセルに入ってたら、忘れ物した別のクラスの子の耳にも「何でも持ってる奴がいる」という
怪しげな情報屋のようなアングラ情報がまわり
知らない子が教科書を借りに来たりするのは面白かったし
壁に絵を描いた時も、そして今も、絵はずっと好きで楽しい事だし
高校の時に飛行機に初めて一人で乗って以降ずっと、飛行機に乗ると自由な感じがしてワクワクする。

【人と違う】という事は、実は全く困る事ではない。
人と違う事で、他の人に嫌悪されたり、同情されたり
矯正されたりする事で、初めて【困る事】になってしまう。

障がいは、自閉症に限らずそういうもんじゃないかと思う。
本人にとっては普通の事で、特に困っても、悲しんでもいない。
他の人がそういうもんだと思ってくれて、自分が社会に馴染めるように自由に努力や工夫をさせてくれるなら
私達は健常者や定型発達の人と一緒にマイペースに暮らしていける。

「何故できる人が、出来ない人を受け入れないといけないんだ。こちらばかり損だ」と思うかもしれないけれど、
健常者や定型発達の人達だって互いに得意不得意があるはず。

私は、耳から入る情報は過敏過ぎて混乱する事もあるけど
味覚と嗅覚が利くので、健常者の人に美味しいご飯を振る舞えるかもしれないし、
察する事が苦手なので、口に出して「愛している」もちゃんと言える。
こだわりが強いので、ハマるとかたくなだから、知り合った時と同じ、いやそれ以上に深く、同じ物も人もずーっと好きでいられる。

それに、周りの人が出来ない事があっても、そういうもんだと思うから、全く気にならない。
不快感もないから、貸し借り無しに支えられる。


多様性とは、我慢しようとしたり、理解しようとしたりするのではなく
"気にしない"事でやっとちゃんと成立するんじゃないかなぁと思う。
身体障がいでも知的障がいでも発達障がいでも、健常者でも定型発達でも、LGBTQAでもヘテロでも
向き合った相手の特徴を「そういうもんだ」と気にしないでいたら、同情さえ存在しない。
それってとっても居心地がいい。

今日は、世界自閉症啓発デー。
自閉症の特徴を知って貰って、プラスになることもあるのかもしれないけど、
自閉症の私、自閉症を学んでくれたあなた、ではやはり立ち位置が違いすぎる。
個人的には、私が自閉症であっても、あなたが自閉症について知らなくても
あなたと私の違いを「そういうもんなんだ」と、気にしないでくれる事が一番対等で、横並びな気がする。
そんな世の中になってほしいと思う。

(って書いてるうちに日付を股越しちゃうのも、あるある)


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