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毒親に育てられた子どもが親になる


■尊厳を守られない家庭

私の育った環境には、虐待があったようでした。

私の両親は熊本の出身。
九州男児や肥後もっこすという言葉を、悪くとらえた様な父を持つ家庭で育ちました。
家の中で一番権力を持つのは父で「例え一家の大黒柱がいう事が間違っていても、家族はついてこなくちゃいけない。統率が乱れる」という事を当然の様に言い、
私は「え、それおかしくない?共倒れするやん」という事を当然のように言ってしまう娘でした。
要するに「おかしいと思う事」を流しきれず「NO」と言ってしまうので、
独裁の父と反論する娘、それは最悪の組み合わせとなりました。

父は差別主義者で、性的マイノリティや精神疾患がある人を嫌っていましたが、私はむしろ自分にも覚えがある部分もあり、彼らの様な存在に親近感がありました。
父がテレビを見ながら差別発言をする度、私は淡々と彼らを擁護しました。
母と弟は、面倒な事になるのが分かっているので、長いものに巻かれるのがすっかり板についていて、むしろ口を挟む私の方に眉根を寄せました。
日常的にその様な対立構造になる事が多く、父は私の事を「何も知らないガキの癖にいちいち生意気」と感じるようになりました。
思春期に入った私は「年長者だろうと間違っている人には敬服できないのは当たり前だ」と正義感を露にしていきました。

幼少期から手の甲や膝下をペシリと打つ体罰や、夜間の家からの閉め出し、収納場所への閉じ込めなどはありましたが
私が高校生になる頃には(父の自営業が傾いていたストレスもあったのか)露骨な暴力となりました。
父と対立すれば私の言い分はすべて「口答え」とされ、
「口で言って分からないお前は家畜以下」と、躊躇なく暴力を正当化しており、拳で顔を殴打するとか、床に倒れた私を踏みつける、蹴るなどは当たり前でした。
母は、父に暴力をふるわれる事はなく、また経済力も無かったので、思考停止して父の腰巾着となっている頼りない存在でした。

■波は独立後にやってくる

他の記事にもあるように、私は自閉症の傾向もわずかにある為、良くも悪くも協調性がなく
この様な家庭にありながら"父の洗脳"を受ける事はありませんでした。
しかし、20歳で「成人したので今後は大人同士、過度な干渉はしないで貰いたい」と家を出てから
しばらく長い間、精神的にバランスを崩して混乱状態が続きました。
何度か医療機関を受診したり、独自に毒親の事やアダルトチルドレン、マインドフルネス等を学んで10年以上。少しずつ心の整理をして、現在の私になっている感じです。

父の連絡先は着信拒否にしてあります。
連絡が必要な時には母に、事後報告で連絡をしています。(自分の結婚も)
現在妊娠中、出産予定日まであと8日ですが、両親は知りません。

導入が長くなりましたが、その様な家庭で育ったので、私には家族というもののお手本はフィクションの世界にしかありません。
両親に抱き締められた事も、頭を撫でられた事も、褒められた事すらろくにないので
「家庭を築き、子どもを育てる」というのは未知のもので、また自分には到底縁遠いものだという、あきらめ混じりの憧れはありました。

■虐待の連鎖

「私は子どもを持ってはいけない」という声をしばしばネットで見かける事に気づきました。
大抵は毒親に育てられた人、虐待を受けた人で、「虐待された人は、虐待する人間になる」という、いわゆる"虐待の連鎖"を信じきっていて、自縄自縛の呪いに掛かっている様でした。

私は、連鎖は「あるかもしれないし、ないかもしれない」程度に思います。
私の父も、祖父にもっと酷い暴力の中で育てられている経歴があるのを知っているからです。
しかし、今でこそ体罰に厳しい世の中になりましたが、以前は躾の一環で平手打ちするという事は珍しくなかったのでは、と思います。
その中で、不要だと思う人は自ら選択し、行わないようになっていき、
そうして"体罰は不要"という世論が少しずつ長い年月をかけて出来上がったのだと思っています。

【被虐待歴のある親の3人に1人は子どもを虐待すると報告されている。ここで大切なのは、被虐待歴のある親のうち3人に2人は世代間連鎖していないことだ】
(引用:日本医事新報社)

また同じ引用元からの情報によると、連鎖が起こらなかった親には

①虐待的でない大人からのサポートを子ども時代に受け取ることができた体験
②時期や種類を問わず一年以上の期間の治療
③情緒的に支えになる安定した配偶者

という因子があったと言います。

私には①は存在しませんでした。
②はありましたが、独学によるもので十分とは言えないかもしれません。
③は、私がパートナーを選ぶ上で、シェルターとしての役割は収入などより重視する所なので、叶っているかと思います。
因子を十分にクリアできているかと言われれば分からないですが、
しかし、被虐待者以外でも「私は完璧に子育てできるほど十分に成熟している」と一体どれだけの人が言えるのでしょうか。
多くの親が自信が持てない事を、過去に傷がある親だけ挑戦する事すら許されないのでしょうか。

初めての育児、知らない事ばかり。
でもそれを恐れる必要がない事は先人のお母さん達が証明してくれています。
皆、手探りで、協力を仰ぎながら我が家流を親と子で模索してきたはずです。
私も、子どもと自分を信じて、一歩一歩、皆と一緒に生きていきたいと思っています。

また、あの家庭で育ったので子どもには様々な願いもあります。

・愛されていると知って欲しい
・自分の存在が尊いと知って欲しい
・色んな事に挑戦し失敗もたくさんして欲しい
・どんな時にも味方がいると知って欲しい
・型に嵌まらず自由に生きて欲しい

自分がどのような環境で育ったか、なんて子どもには関係ないので
子育てを通じて、満たされなかった過去の自分を癒そうとは到底思いません。
出来る事と言ったら、これらを願い、子どもの落ち着ける場所を作ってあげること。

あんな家庭でも育つほど、子どもは強い。
これから私達が産む子どもみんなに言えることですし、また、被虐待者の方みんなにも言える事です。
私もあなたも、強い。
こんなに強いのだから、「自分は加害者になってしまう」という呪いを
自分にかけたりせず、家庭や子どもも諦めなくてもいいんじゃないか、と
私は思えてなりません。
勿論、克服する為の勉強や治療など準備するものは人より多いかもしれないけれど。

■今の自分を虐待しているのはだれ?

被虐待者は、尊厳を踏み躙られる環境で育ったので、自己肯定力が低く「子育てに失敗するかも」と思う人は多いのでしょうが、
親元を離れた環境に身を置いているのに未だ生き苦しく、自分を追い込んでしまうのだとしたら
それは自分を虐待している
サインかもしれない
と、私は一人暮らしをして、感じました。
(独立後にきた波は、親から逃げた後に自分と向き合って起こりました)

環境を変えたなら今の自分を作っているのは、自分ということになります。
どんなに酷い親でももう親のせいにはできません。
きっかけを作ったのは親だけど、それを引き継いで続けているのは自分…。
(全くもって引き継ぐ必要ないのに!)
もはや、考え方の癖でしか無いのだと思います。根拠なんて一つもない。
そんな「私には無理」「私は不完全」と言う言葉を何故信じる必要がありましょうか。
もし「私に家庭は築けない」「子育てしたら虐待する」と思ってしまう場合
そう思っているのは誰なのか、思わせているのは誰なのか、今一度考えてみて貰いたいです。
親の受け売りなのか、自己肯定力が低い自分が耳許で囁いているのでは?
自分が生み出した幻を信じて、人生を選択して本当に良いのでしょうか。

■最後に

個人的に心に留めておきたい事。

・子は生まれた時から一人の別の人間。
 個性も尊厳もある。
 例え親であろうと土足で踏み込んではならない。
・共に過ごすのは自立するまでのわずかな時間。
・親は巣立ち出来る様にサポートする係。
 親も未熟なのだから教育するなど傲慢。
・親とは違う部分も自立の一貫。
・子は「未熟」「半人前」など何かが足りない存在などではない。
 =足りない部分を埋めていくのが成長ではない。
 経験不足で未知の事柄の知見や情緒を、深め広げていくのが成長。

私の場合は、妊婦検診の過程で、医師の助言を受け
病院と保健センターが情報を連携してサポートしてくれる事になっています。
(カルテに「サポート必要!!!」と付箋貼付されてます)
それぞれの実家を頼る事ができない事(義実家は高齢の為)が理由になっていますが、
実質、私の育った環境の聞き取りによる産後うつや虐待のリスク回避の面が大きいと思います。
私は今となっては過去の虐待が原因で生活に支障をきたす事は無いので
お申し出を頂いた時も苦笑いという感じだったのですが、せっかくのサポート
子どもの為にお願いしようと思いました。
前述した様に「自分は完璧」だと言える親は居ませんからね。

この様に、自分やパートナー以外にも、病院の先生や助産師さん、
保健センター、保健師さんなどなど、完璧じゃない私を助けてくれる人はたくさんいるみたいです。
これからいっぱい悩んで子育てしていけるという事に今からワクワクしています。

これを読んだ被虐待者の方が、自分と向き合い
未来に少しでも可能性を感じてくれると嬉しく思います。

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