威圧する芸術
現在Twitterで見る素晴らしいイラスト、YouTubeで見られるpvつき音楽は、全て広義的に見れば「芸術」だと捉えています。
私の身近にある芸術です。他にも色々あります。デジタルでもアナログでもです。
芸術という言葉を使うとちょっと堅苦しく感じてしまいます。
芸術という言葉が持つ印象を、現代目覚ましく多様化する「芸術」が追い越してしまったんだと思います。
芸術は、そこそこ昔はヨーロッパの王族や貴族たち、あるいは日本では平安貴族たちのものでしたね。
この時代の庶民の生活について学校では習いませんが(少なくとも私は習っていません)、とても芸術とは縁遠い生活をしていたでしょう。
格式高い彼らにとって、芸術は格式高い存在であったはずです。
だからこそ、芸術という言葉そのものに堅苦しさがあるのでしょう。
ただ、今回の趣旨はそちらではありません。
そもそも芸術と呼んで良いのか怪しいですが、
方向性の違う芸術についてです。
芸術は権力を誇示するために存在していた時代があったと考えています。
一応ことわっておくと、
「芸術」の定義自体が色々とありますが、
今回は、何かしら創意工夫、細工の施された創作物を全て「芸術品」と扱うことにし、その創意工夫がいかなる動機で生まれたものであろうと「芸術」と一括りにすることにします。
ヨーロッパの、煌々とそびえ立つ大きな城。
玉座やシャンデリアがきらきら輝きます。
まばゆい青色のタイルが敷き詰められたモスク。
大きな建物なのに、上までびっしり綺麗なタイルで覆われています。
タイトルの画像として載せておきました。
日光東照宮に代表される、細かく美しい彫刻。
さすが日本とため息をつくくらい、手ぶれを感じさせない精巧なつくりです。
こんな芸術は、
本当にその当時の権力者が鑑賞するのを楽しむためだけに、わざわざ施されたのでしょうか。
それだけでは無いでしょう。
今私が挙げた場所、あるいはそれに似た場所に訪れたことはありますか。
観光後、どっと疲れた感じになることが多いです。
手がかかっているな、苦労してつくったんだな、と見ただけでわかるような創作物というのは、圧倒的な力を持ちます。
例えばマンガを自分で書いてみたことがある人は、1人の作者が何ページも書いたことで出来上がったマンガを見ると、なんだか疲れを感じませんか。
同じ絵を何回も書いたり、トーンを貼ったりと、マンガを書くのは疲れます。
作者が感じただろう疲れを、こちらが想像して感じてしまうのです。
ただ、疲れるだけならばまだかわいいものです。
こんなものどうやってつくったんだと思わせる芸術品が持つ力というのは如何程でしょうか。
自分がそれをつくっている姿を想像できないような芸術品は、思考を停止させます。
そして、ただただ、なんだか恐ろしくなってしまうのです。
人間、想像できないものは怖いのです。
この恐れが、そのままそれを所有する権力者に対する畏れに変換されるのです。
そういう人間の持つ共感性を知ってか、当時の権力者たちは細かな芸術品を作らせたのだと思うのです。
民を威圧し、従わせるために。
もちろん、そういう美しい芸術品を日常的に鑑賞するのは、手がかかっているものですから格式高い行いであったことは間違いないと思います。
こうして各国の権力者たちの雄大な建物や日用品が遺っているわけですが、こと中国は異質です。
何が異質かって、細かすぎるんです。芸術が。
今はこんなご時世で、なかなか旅行には行けません。
ですが、もしこれから世界が落ち着いて、海外にも旅行ができるようになったら、是非、是非中国の美術館を訪れてみて欲しいんです。
私は上海の美術館に行きました。
美術館?そんなの何が面白いの?
私、芸術品の良さなんかわかんないんだけどなー
という方にも是非、行ってみて頂きたいのです。
驚きます。
今までの話で、
★人間は手のかかった創作物の苦労を自分でも追体験し、疲れる
★創作物の苦労が計り知れないと、もはや恐れを抱く
★昔の権力者は、建物や日用品に芸術を施し民を威圧した
という話をしました。
中国は、"苦労が計り知れない"という内容が異質です。
大きな城、モスクのタイル、建物の彫刻は、
「何人もの人が、何十年もかけたんだなぁ」
と思います。
しかし中国の美術館で見ることの出来る創作物は、
「一生をこの作品を仕上げることだけに捧げたんだな」
と思ってしまうのです。
明らかに、1人とか、せいぜい後継1人とかで仕上げている作品のように伺えます。
全体的にサイズが小さいのです。
具体的にどういう品なのかというと、これがまた用途がわからないものばかりなのです。
ミニチュアのような、建物を模したような何か……だったり、
祭具っぽくてえらい細かい模様がついてるけど、何に使うのか……という感じだったり、
バリエーションに富むので一言で表せません。
死ぬほど細かいのです。
比喩ではなく、死ぬほどです。
生まれてから、青銅なんかの加工技術を身につけて死ぬまでの30-50年とかを全てその作品に捧げても仕上がらないでしょと言いたいくらい細かく作られているのです。
なかなかそういう品は日本や諸外国でお目にかかれないので、実物を見てもらうほか共感のしようがないと思います。写真とかもなく唐突に申し訳ないですね…。
だからこそ1度見てみて欲しいんです…。
上手いし精巧なのですが、何故か、目の前でつくっている光景が思い浮かんでしまって、より一層怖くなってしまいます。
あなたの一生その作品だけに注ぎ込まれてるけどそれでいいのか、と、その作品だけに一生捧げられるその心意気はどこから来るんだと、つくった本人に問うてみたいです。
そんな中国の職人魂というのか、なんか極めちゃってる感じが、私の心を惹いて仕方ありません。
中国の、威圧する芸術が好きです。
いつかまた観にいきたいです。
そんな話でした。|ω・)
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