マイルール
わたしは料理がすきだ。
仕事で嫌なことがあっても、スーパーに寄って納得のいく買い物をして家に帰り、黙々と何品か手際よくできあがれば、その達成感でリセットできる。
でも最近思うのは、誰かに食べてもらえるっていうのも重要なんだなってこと。ひとりだと簡単に済ませてしまいがちだが、一緒に食べるひとがいれば好みや食べ合わせも考えるようになる。あらためて同居人の存在をありがたく思う。
同居人は弟の親友で韓国人。海外赴任することになった弟の替わりにわたしとルームシェアをして、もうそろそろ一年になる。
「ただいまー」
「あね、おかえりー」
今日は珍しく彼のほうが先に帰宅している。弟に紹介された日から彼は私のことを「あね」と呼ぶ。イントネーションは普通の姉ではなく、画家のモネと同じ。部屋着に着替えてソファでスマホを見ながら寛いでいたようだ。もう見慣れたいつもの風景……と思ったが、なにやらおいしそうな匂いがする。
「あれ、なにか作ったの」
「ん。腹減りすぎてラーメン食っちゃった」
「そっか」
「今日はなんの予定だった」
「麻婆豆腐」
「あねの麻婆豆腐すき。おれまだ食べれるよ」
「今日のはいつもの辛いのじゃなくて、日本風にしようと思ってんだけど平気」
「ちょっ、日本風の麻婆豆腐てなに」
少し揶揄うようににやつくところが憎たらしい。相手にせず作り始めることにする。
大抵まずは汁物から作る。今日は味噌味の麻婆豆腐だからたまごスープにしよう、と取りかかったが、余所事を考えていて、中華だしの香るスープのなかに、ついいつもの調子で味噌を入れてしまった。
「ああっ」
わたしの大声に肩をびくっとさせて、どうした、と振り向く。
「たまごスープだったのに、お味噌汁にしちゃった」
「え、べつにいいじゃん」
「今日の麻婆豆腐は味噌味なのに……」
味噌を使ったメインのとき味噌汁にしないのはわたしのなかだけの決まりごとだ。
失敗したなあ、と思いながらも気を取り直して、麻婆豆腐の準備をしようとしたところで、小口切りにして冷凍してある小葱がないのに気づく。
「ねえ、葱使った」
「あー、残りそんなに無かったからさっきラーメンに全部入れた」
彩りに入れようと思っていたのに当てが外れた。味噌汁にも入れたかいわれを細かく刻んで入れることにする。料理によって食材がかぶらないようにしているわたしにとって、今夜はなんだかすべてがうまくいかないような気がしてがっかりする。
雑穀を入れた米が炊け、できあがった料理をテーブルに並べ終えたのに、突っ立ったままのわたしを首を傾げて覗き込んでくる。
「おいしそう。食べよ」
「ん……」
わたしの椅子を引いて座らせ、向かいの椅子にすとんと座って手を合わせた。
「いただきます」
大学進学と同時に日本に来た彼だが、すっかり日本式が板についている。いつもならそんな姿を見て和むのだが、今日はなかなか浮上できない。それは仕事のせいもあるのだけれど。
新年度に入って部署を異動したわたしは、なかなか新しい仕事に慣れなくて常に緊張しているし、同僚に迷惑をかけていないかと心配でしかたないのだ。
椅子に座ってもうつむいたままのわたしに構わず、彼は麻婆豆腐を食べ始める。
「んんっ、うまい。おれ、これすき」
そう言ってにっこりとした。たまごの味噌汁も、野菜が足りないかもと即席で作った副菜のチョレギサラダも、おいしい、と食べてくれる。そんな彼を見てやっと箸を手に取ったわたしに、安心したように頷いて、
「あねのこだわりはわかってるけど」
と話しはじめた。
「そんなこと言ったら日本料理なんて味噌も醤油も豆だし、しかも今日は豆腐もあるからかぶりまくりじゃない」
わたしは、確かにそう言われればそうだな、と目を伏せた。
「そんなことより一回の食事で日本料理の他に、中華料理とか韓国料理とかも一緒に出るほうがどうなのって思う」
「えっ……」
わたしが顔を上げると、彼は慌てたように続ける。
「いや、それが嫌なわけじゃなくて、すごいなって思ってるよ。いつもおいしいし」
「……それなら、よかった」
安堵のため息と共にわたしはまた首を項垂れた。
「だいたいあねはなんでも気にしすぎ」
いつのまにかわたしの座る椅子の脇に来て、立ち膝になってそっと頭を撫でてくれていた。
「もっと、楽にしていいと思うよ」
「そうかな」
「ん。あと、もっと愚痴ってよ。なんでも聞くからさ」
「ありがと」
「あ、あと小葱使っちゃって、ごめん」
「いいよ、もう、それは」
いつものような何気ないやり取りになったのに、いつもより距離が近いせいで、だんだんどきどきしてくる。
そこに、それから、と少し声がおおきくなった彼のほうを見ると、照れたときによくする耳の後ろを触る仕草をしている。
「もっと、頼ってよ。すきなやつにそんな顔させたくな……い……」
そこまで聞いて目を見開いたわたしの顔を大きな手が覆う。
「……から。ねえ、わかった」
少し怒ったような声になる彼が愛おしくなって、思わず頬が緩む。顔を覆う彼の手を取り両手で包んだ。
「うん、ありがと。ねえ、わたしもすきだよ」
明日からはもう少し楽にできるといいな。
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