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【東大生note】あの時、未来は間違いなく明るいと信じていた。

こんばんは!東大3年のイケてるスリスリくんです。

今日はめちゃくちゃとりとめもない雑談です。


最近、自分の将来について考える機会が多くなりました。

就活を契機として、将来どこでどういう仕事をして、どういう働き方が理想で、どのくらいの収入が欲しくて、どこに住みたくて、趣味にいくら使えたら幸せかというような問い。

また、年金制度の軋み、増えない手取り、老後2000万円問題など、お金に関する不安な話題も尽きることはありません。

こういうことを含め、今後の人生についていよいよ真剣に向き合わなければならない時期に差し掛かった気がしています。

ゆっくりと、でも着実に、自分が「社会人」として世の中の不条理にまみれながら生きていかなければならない時が近づいている。

そう考えると、少し暗い気持ちになってしまいます。


そもそも、昔は「東大入れば安泰」と思っていました。

「ドラゴン桜」を愛読書にしていたこともあり、東大合格は「人生のプラチナチケット」だと信じて疑いませんでした。

でも、実際は違いました。

いや、違うというより「自分で違くしてしまった」のかもしれません。

入学当初は進振りで点を稼がなければならず、日々の授業とテスト勉強でいっぱいいっぱいになることが多かったのです。

そのせいか、インターンや留学、サークル(遊びじゃないもの)など、「自分を高める」ための努力から遠ざかってしまったのだと思います。

東大に「入ること」が目的となってしまっていた当時の私には、1年時から「外」に目を向けて、広い世界のなかで切磋琢磨することから無意識に目を背けてしまったのでしょう。

でも、当時の自分にはそれが「限界」でした。

当時の自分が知り得た、または主体的にでも知ろうとした世界は、当時自分が知っていた世界そのものがまさに限度だったのです。

至極当たり前ですが、それが現実です。

それについて私は後悔していませんし、後悔するくらいなら未来を変えれば良いだけです。

でも、東大入学前に思い描いていた未来ほど「希望に満ちた」ものではなかった、ということです。


しかし、自分の未来を希望で満ち溢れたものにできるかどうかは自分自身の力量次第です。

自分が置かれた環境の中で努力し、自分の望む未来に向けて前進できるかどうかは、ひとえに私たち一人一人にかかっています。

そして、自分自身が真に満足した人生を送るためには、私たちが自らの「人生の軸」をしっかりと定め、それに向けて着実に歩みを進めることが必要です。

その「人生の軸」こそが、上に書いたような『将来どこでどういう仕事をして、どういう働き方が理想で、どのくらいの収入が欲しくて、どこに住みたくて、趣味にいくら使えたら幸せかというような問い』に対する答えであると思うのです。

そこを突き詰めて考えて初めて、自らの進むべき方向性が明らかになる。


大学受験の時はひたすらに「ナンバーワン」を目指せば良かったわけです。

それが間違いのない正解だったし、そのための方法論もある程度確立されていた。

しかし、私たちが生きる社会は「ナンバーワン」になるにはあまりに難しい。

どの世界にもプロフェッショナルがいて、彼らが日々生存競争を繰り広げている世界です。

それならば、私たちにできることは何か。

自らが理想とする「軸」をベースに、暗中模索を繰り返しながら一歩ずつ進んでいくことです。

これは基本的には他人の意思を介在させない決断のため、地味ですが、最も確実に自分の望む人生にたどり着くことができます。

その過程で不確定要素があったり、思いもよらぬ方向にことが進んだりするかもしれませんが、それで良いのです。

それさえも受け入れ、楽しみ、自らの血肉とするならば。

自分の人生は、自分で決める。

自分の人生の落とし前は、自分でつける。

そういう覚悟の時が、ひしひしと迫っているのだなという気がする今日この頃です。

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