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村上茉愛選手に誤解でバッシング、「思い知ったか」の真意は?

東京2020オリンピック体操個人総合に出場した村上茉愛選手の「思い知ったか」という発言が、Twitter上で批判にさらされている。一部のスポーツ紙の不正確な編集により、五輪に反対する全体の人々への発言だと誤って捉えられたようだ。

一部の加害者を指すと考えるのが自然

デイリースポーツ、スポニチアネックス、日刊スポーツの記事のリンクを下記に張った(あえてYahoo!にした)。よく読めば分かるが、「思い知ったか」が指す先は、SNS上で単なるオリンピック反対の域を超えて、選手個人に言葉の刃を向ける一部の度が過ぎた人々(加害者)だと考えるのが自然だ。

たしかに村上選手のコメントには解釈の違いが生じる余地があったかもしれない。だが、スポーツ選手はコメンテーターではない。目の前の試合に集中していれば、試合後のコメントなんて考える余裕もないはずだ。競技を終えて、結果が確定して様々な思いが頭を巡る中で、うまく言葉を選べないのは何も悪いことではない。

多くのスポーツ選手を取材されている徳重辰徳さんの投稿が簡潔だったので、僭越ながら引用させていただく。

また「千葉すず騒動」を繰り返すのか

日本社会ではこれまでも「強気な女性」を受容できず、些末な言葉尻をとらえて袋叩きにする騒動が起きてきた。コラムニストのナンシー関氏は、25年も前にその構造を見破っている。

コラムニストのナンシー関はかつて千葉すずがバッシングされたとき、その理由を、《視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が勝手につくった「感動をありがとう」に着地するはずの物語に乗ってくれなかったからである。感動という快楽を享受というより貪るためにつくった物語に、千葉すずは収まってくれなかったのだ。それで怒ってんだ》と喝破してみせた(『Number』1996年9月12日号)、近藤正高(2021/02/28)再掲より引用


連日の日本勢のメダルラッシュにより、東京五輪は確実に盛り上がっている。一方で、惜しくもメダルに達しなかった選手を責めたり中傷したりする風潮が生まれないかの瀬戸際に来ているように筆者は感じた。自分が加害者にならないために、強い言葉を投稿したくなった人は、今一度深呼吸をしてどうか冷静になってほしい。

※2021年8月1日追記

ITジャーナリスト・篠原修司さんによる検証記事が公開されていたのでリンクを張っておきます。やはりプロの方の記事は分かりやすくていいですね。

早合点で「この言い草を覚えとく」等と冷笑的なコメントを投げて悦に入っていたブックデザイナーや人権派弁護士の方々は当然、謝罪したうえで投稿を削除したりフォロワーに誤解を広めないように呼び掛けたりなど、然るべき対処を行っていると信じたいです。

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