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東京オリンピック反対派のほうが全体主義的だよね。

1940年に開催予定だった夏季オリンピック東京大会・冬季オリンピック札幌大会は、支那事変(日中戦争)を契機に開催権返上に追い込まれた(サムネイル写真は1936年9月、オリンピック旗を製造する業者)。

両オリンピックについては、開催に向けた準備が進んでいた1937年3月20日の衆議院予算総会で河野一郎氏(河野太郎氏の祖父)が「今日のような一触即発の国際情勢において、オリンピックを開催するのはいかがと思う」旨を発言したが、当時これを真剣に受け取る者はいなかったそうだ。しかし、日中戦争の長期化で鉄鋼を中心に資材が逼迫。競技施設の建設に支障が生じ、東京市による資金調達も困難となった。さらに、杉山元陸軍大臣が国会で五輪中止を進言したり河野一郎氏が再び開催中止を求める質問したりなどして、開催に否定的な空気が国内で広まった。それまで五輪開催への盛り上げを担ってきた読売新聞や東京朝日新聞では、関連記事が1937年半ばから縮小したという。

”バズる”に魂を売るメディア

コロナ禍に襲われた令和時代の東京オリンピック・パラリンピックは、連日すさまじいネガティブキャンペーンが繰り広げられている。オリンピック・パラリンピックは組織委員会という公益財団法人を挟んでいるとはいえ、明らかに公共事業だから不正の監視に目を光らせるのは当然だとしても、ここまで新聞もウェブメディアも雑誌もテレビもこぞって開催ムードを袋叩きにする現状には、薄気味悪さを感じる。

彼らは五輪より命が大事だと繰り返すが、五輪中止とコロナ感染拡大防止がどう結びつくのか、マスコミお得意のふわっとした関連付けばかりで今ひとつはっきりしない。費用面かて民間スポンサーが拠出した分を含め、2020年3月時点で組まれていた予算はおおかた支出されているだろう。最近ではスポーツドクターの確保も問題視されたが、ふたを開けてみれば想定人数を上回る応募があったと報じられている。医師たちの主な専門は整形外科医や歯科医だというから、果たして新型コロナ関連の医療行政にどれほど影響を及ぼすのだろうか。

日刊スポーツ:五輪組織委の公認スポーツドクター200人募集に応募280人

同じような現象はコロナ禍以前の2019年にもあった。あれだけネット上で騒がれたボランティア募集には約18万6千人が応募し倍率は2倍超、聖火ランナーの倍率は自治体によっては200倍に上ったという。当時はTwitterの蛸壺ぶりに苦笑いをした記憶がある。

日本テレビ:東京オリ・パラボランティア応募者数発表

サンスポ:聖火ランナーに応募53万件 倍率は3県で200倍超に

先日は筆者も楽しく読んでいた「ねとらぼ」が、編集部を「しらべぇ」のライターに乗っ取られたのかと思うくらい信頼性に乏しい調査記事を掲載していて悲しくなった。専門の調査会社に委託しないでも限りネットアンケートの投票結果が当てにならないことも、そもそもねとらぼ読者の嗜好にかなり偏りがあることも、自分たちが一番よく分かっているだろうに。ネット炎上の放火魔と化したBuzzfeedやハフポストに比べ、老舗で安定した娯楽メディアだと思っていたが、遂にバズるために魂を売ってしまった。

※バズる(Buzz)=主にインターネット上で口コミのように情報が瞬時に広がること

メディア関係者の場合、五輪パラが中止になれば「言論の勝利だ!」と鼻息荒く威張り散らかすだろうし、五輪パラが無事に開催された暁には「困難な状況で頑張ったアスリートたち!」とか銘打ち、スター選手を持ち上げて手記を出版したり特集企画をぶち上げたりすることは火を見るよりも明らかだ。どっちに転んでも損をしない、おいしい部分にだけタダ乗りする連中なので、これからも無責任に”売れやすい・バズりやすい情報”を垂れ流すだろう。

一般市民が"挙国一致"を熱望する日本

マスコミだけでなく、市民側の暴走も目立ってきた。オリンピックやパラリンピックが楽しみという一般人の率直な投稿に、攻撃的な返信が集まる現在のSNSの空気も間違いなく異常だ。公式アカウントの投稿の返信欄をのぞくと、攻撃の矛先は一般公募の聖火ランナーにまで及んでいる。

東京五輪の公式Twitter

SNS上の言論の硬直化に、日ごろ言論の自由を享受するリベラル派のメディア関係者や作家たちはもっと疑問を持つべきはずなのに、彼らはむしろ、暇つぶしのようにオリンピック・パラリンピックに対するネガティブな投稿を連発し、反対ムードを率先する側にいるから不思議だ。我らこそ正義とばかりに世論の先鋭化に加担する姿は、大東亜戦争時に国民統制のために筆をふるった文学報国会の負の歴史にも重なって見える。

五輪パラ反対派の苛烈さは、もはや宗教的な集団洗脳の域に達したと筆者は感じている。本人たちは未だに政府に抑圧される善良な小市民だと思い込んでいるようだが、既に意見が異なる市民を弾圧する勢力に立場が変わったことを自覚できていない。令和の挙国一致を強要する市民たちの言動は、戦中の隣組を彷彿とさせる。

彼らはすぐに「国民は」「県民は」とデカい主語を使ってしまう過剰な自意識も特徴で、反権力を掲げていたはずが、なぜか五輪に参加する医師は非国民だとか、聖火ランナーは全員辞退するべきだとか全体主義に染まった投稿を繰り返すのだ。戦中の自由に物が言えない街の空気も、きっとこんな感じだったんだろう。

また、やたらにミクロ的・マクロ的、短期的・長期的な視点の分析を混同したがるのも気になる。向こう50年の日本の信頼に関わる国家レベルの話を、自分が体験した範囲の小さい物差しで測りたがるのは議論が散らかるのでやめてほしい。コロナ対策で政府批判は出てきて当然であり、筆者も同意できる批判意見も見かけるが、木を見て森を見ず・針小棒大な語り口が多すぎる。

防戦一方の組織委員会にも言いたいことがある。もっと積極的にアスリートや五輪パラのファンに向けて不安解消につながる情報を直接的に発信するべきだ。公式サイトを読んでいると、肝心の部分は、恐らく都庁や国から出向した役人が書いて決裁したと思われる曖昧なニュアンスの内容ばかりで、今ひとつ物足りない。こんなクソ長い記事を書いてまで五輪パラを応援したい賛成派の筆者ですら不安になる。

筆者は出場を目指すアスリートをはじめ、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催に向けて尽力されている皆様が報われることを心より願っている。この異常な環境下での心労は察するに余りある。応援している人もたくさんいるので、どうか自暴自棄にならないでほしい。


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