表現の形態を模索する
とてもとても、久しぶりの投稿となってしまいました。
色々の締め切りや用事が立て込み、古美術研究旅行にも行ったりで、気づけば前回の記事は1ヶ月前。SNSの更新もしばらく止まっておりました。
ガーっとハマっては、パッタリと止まる。
そんな自分に終止符を打たなければならない。
9月の展示が終わってからというもの、「アウトプットモード」が完全に燃え尽き、「インプットモード」に全振りしておりました。
もはや、自分がものを作る人間であるということを忘れておりました。
以前は「インプットが無さすぎる」ことで表現のマンネリに陥っていましたが、近頃はアウトプットが無さすぎて自分の表現というものを見失いつつある、そんな状態かもしれません。
バランスが大事、何事も、本当に。
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はじめに、今後の予定について少し書いてみたいと思います。
2月に一点だけの出展ではありますが、グループ展に参加させていただきます。
それ以外、今後はギャラリーでの展示は入れない予定でいます。
藝祭には出る予定です。
それに伴い、絵の発表や販売はしばらくお休みする予定にしております。
でも、このような、ちいさな発信は細々と続けられればいいなぁ。
理由は二つあり、一つはやはり、大学生活に専念するためです。
3年後期。卒制に向けて、大きな画面に慣れるため課題制作の号数を徐々に大きくしており、制作が非常にハードになってきました。
授業も履修したいものがいくつもあり、すでに来年の時間割がパンパン。
あとは、今更ではありますが部活に入りました!
他の専攻の人たちや音校の人たちとも交流を深めたいと思います。この話はまた。
あっという間に3年生の後期か……。学年を考えると、もう色々なことが最後のチャンスになってきます。悔いを残さないように過ごさなければ。
なので今後は展示を行わず、藝大での大学生活に専念。それが一つです。
もう一つは、
「表現の手段・作品の形態・作品の届け方」
について模索するためです。
おや?
大学生活に「専念」すると言ったばかりではないか?
そうだ。ならばちょっと訂正して、
「大学生活」と、「自分の表現を模索すること」に専念したいと思います。
一言で言うと「研究」なのかもしれない。
今日は、「表現の形態を模索する」というテーマで書いてみたいと思います。
拙い文章ですが、読んでいただけましたら幸いです。
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私は今まで「絵画」、そのなかでも「日本画」をメインに作品を制作してきました。
私は大学の絵画科で日本画を専攻しています。
自分は、何よりも絵を描くことが大好き!
とにかく、絵を描きたい!
自分は絵を描く人間なんだ!
と思っていたけれど、あれ、これ正確にはちょっと違っているのかもしれない。
いや、ちょっとどころではなく自分の本当の感覚とは大きな開きがあったことに気がつきました。去年の夏頃だったか。
私には「物語を作って届けたい」という大きな目的があり、「絵を描くこと」はその手段の一つなのだと気がつきました。
思い返せば、幼少期から絵以外にもさまざまな芸術の形態に興味を持っていました。
でも何だか、絵以外は他人から褒められたこともなく、恥をかいた記憶ばかりで自信を持てず、絵以外の分野にはどんなに興味があっても好きでも、自分がそれをやっていいとは思えなかったところがありました。
そんな10代でした。
でも大学生になって、さまざまな新しい刺激を受けて、考え方が変わっていきました。
自分のことをこうだと決めつけて、「目的」を叶えるための「手段」を何も一つに絞ることはないのかもしれない。最近そう思い始めました。
肩書きのように、自分はこれをやる人間ですと言うのにはまだ早いのではないか。
そう思って、藝祭に合わせて名刺を作り替えたときは、絵描きという肩書きをなくして名前だけにしてみたのでした。
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同時に、作品の届け方に関しても、もう少し視野を広くして考えてみたいのです。
これまでは、ギャラリーで展示を行い、そこで一点モノの絵画作品を販売するという形でした。
一点モノの作品には、やはり世界に一つしかない、時間をかけて作った作品の「実物」であるという特別感があります。
私も初めて作家さんの作品を購入して、そのことを強く実感しました。
一生忘れることのない経験です。
そう思うと同時に、
生活の中に、もっと気軽に招き入れることができるような届け方ができないか?
一つの作品をより多くの人に届けられないだろうか?
遠くに暮らしている人にも届けられないだろうか?とも思います。
私も長崎に住んでいた頃は芸術にふれたくても、地理的な問題で叶わないことが多くありました。
「ギャラリーでの絵画の展示・販売」は、どうしても「場所」という地理的な問題や、「一点モノ=早いもの順でなくなってしまう」という時間的な問題があります。
ネット販売という手もありますが、日本画は実物と、写真に写したものとでは全く違うものになってしまい、その上、高価なものでもあるので場合によってはトラブルになることもあり得る……などと考えると、なかなか難しいなと思ってしまうものです。
お住まいが遠く、展示に来ることが難しかったり、スケジュールが合わず、会期の後のほうでは欲しかったものがもう無くなってしまっていたり、ということがどうしても起こります。
そのあたりは、「展示をすること」に対して葛藤してきた部分でもあります。
何かいい方法がないだろうか? まだ答えは出ません。
「表現の形態」について分析すると、色々な発見があります。
アナログの美術作品は、第一に「物体」であり、一点モノです。
そして視覚的な、一つの「瞬間」や「イメージ」を切り取った作品の形態が絵画です。
ならば、その「逆」をやったらどうなるか?
作品自体が物体を持たず、本物を増殖可能で、時間の流れと展開を持った形態の作品。
絵画を「時間が止まっている」芸術とするならば、「時間が動いていて、物語が展開していく」芸術も、やってみたい。
「星の海」という小説を書いたのは、その第一歩としての挑戦でした。
こんな感じで今も、「物語を作って届ける」という目的のための手段を日々模索。
もちろん絵はこれからも描き続けるつもりです。
自分にとって、これまで時間をかけて大切に育ててきた手段だからです。
そのうえで、日本画専攻だからということに縛られず、他の様々な表現にも積極的に挑戦していきたいと思っています。
絵を描く手段は、きっと「絵」だけとは限らなくて
絵以外で「絵」を描くことは可能だ、という仮説のもと、それをやってみるのです。
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アウトプットは最大のインプットだったのだと、今こうして書きながら痛感しています。
大学1年生の終わり頃から、有難いことに、いくつも発表の機会をいただきました。
大学以外での展示を数えてみると、1年生から今までで、学校外で13もの発表の機会をいただいていました。
こんなに沢山展示ができるとは思っていませんでした。
学生のうちからこのような経験をさせていただけたのは、本当に、本当に有難いことです。
これまでの、展示という「アウトプット」で学んだことは、あまりにも、あまりにも多くありました。
予想していたよりも遥かに多くの展示をすることができ、沢山の方に作品をお届けすることができて、嬉しい限りです。
と言っても私はただ描いているだけであり、こうして作品を届けられたのは、沢山の方に支えられ、機会を与えていただき、そして私を見つけてくださり、作品のもとへ足を運んでくださった方々のおかげです。
作品は、作り手だけでは成立しないものです。
作り手は画面を仕上げることはできても、本当の意味で作品を「完成」させることはできません。
絵は、見てくださった方の心の中で、物語に変化して初めて完成するものです。
制作物を外に連れ出して、空間を作って発表し、迎え入れていただき、そして作ったものとの別れを経験して感じたことは、生涯一瞬たりとも忘れたくないと思います。
物語を作って届ける。
気がつけば、私の「将来の夢」はもう、たくさん叶っていました。
私の夢を叶えてくださり、ありがとうございます。
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少しずつではありますが、新しい物語をこしらえています。
この秋から、新しい勉強も始めました。これはもう、ほとんど0からのスタートです。
例えるなら「鉛筆の研ぎ方」から教わるようなことです。
これが「手段」の一つとして形になるのは一体、いつになることやら。
学びが何よりの喜び、そんな日々を送っています。
忙しいけれど、毎日が学ぶ喜びに満ちています。
また新たな「物語のひととき」をお届けできる日まで。
時間はかかりそうですが、必ずや、進化して戻ってまいります。
長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
季節はあっという間に移り変わっていました。
夜空はきいんと冷たく、澄みきっています。
部屋の窓からシリウスがよく見えるようになると、ああ冬が来たんだ、と感じます。
くれぐれも、お身体には気をつけてお過ごしください。
それではまた!
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