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未知は美しい


小学6年生のとき、理科の実験で塩酸に鉄やアルミを漬ける実験があった。


小学生の理科と言ったら専ら、植物、動物、太陽や月の運行、天気、水、熱、重さ、電気など、生活に直結した事柄について学ぶ。

試験管や薬品を使って煙がモクモク、といった科学っぽいことは、基本ない。


私も理科といえばそういうのをイメージして憧れていたから、結構悲しかったのを覚えている。

そんな中で、6年生の最後の方でようやく、試験管や塩酸を使った、いかにも科学っぽい実験があった。これには歓喜したものだ。

そうだよこれこれ、こういうのがみんなやりたかったんだよ。


塩酸とかいう、なんなのかも分からない危険な液体が試験管に入っていて、アルミや鉄のかけらをピンセットで試験管に入れる。

すると不思議。
炭酸のようにシュワシュワ溶け出して金属がぼろぼろになっていった。

それで、こんな風に教えられた記憶がある。

「塩酸に鉄を漬けると反応して、別のものに変わる」

……別のものに変わる。


この教科書の表現は確か、ヨウ素デンプン反応で、デンプンが唾液によって糖に分解されるという実験をした時なんかもあった。

「でんぷんが別のものに変わる」と。


出た。別のものに変わる。

……別のもの、って何だよ!

と、気になるところではあったけれど、「塩化鉄と水素」とか「糖」とかは、小学生には難しいからと、こういう終わり方をするのだろう。

なんか納得いかない……
小学生だって、もう少し難しいことを知りたい。
化学式とか、憧れるじゃない。

とは思いつつも、自分は不思議と教科書に書いてあったこの表現がなぜか気に入ってしまった。

「別のものに変わる」というフワッとした終わり方、いいなぁ

などと思っていた。


先程ふっと思い出したこのこと。

「別のものに変わる」という
未知を残した中途半端な終わり方。

これはある意味「詩的」かもしれない。

私が創作をする上で今大切にしたいと思っている、「詩的な余白」に通じるものがある。

未知があるから、詩が生まれ、物語が生まれた。

と考えている。



分からないことがある。

未知がある。

空白は美しい。

だから人は宇宙に惹かれたりする。

昔々の人々が夜空について、宇宙の成り立ちについて真剣に考えて、あのように物語をこしらえて、物語によって宇宙を捉えようとしたのは、雲の上が全て未知だったからだ。

あの時代に生まれていたなら、きっと自分は天文学者になっていたと思う。


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