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世界は自分を中心に回っている。と思っていた頃。

うちの父は昭和17年生まれ。祖父は明治30年生まれ。

明治の男に育てられた父は厳しく躾けられたのか。
年の離れた姉たちはみな働いており(昔は15歳から働いていたそう)戦争だったりその時代の衛生状況から、唯一残った男の子のうちの父を、たいそう可愛がって育てた様。

おかげで、結構な「自己中心的」な考えな人に育ったなぁ。と子供ながら思っていた。


そんな父がよく言うセリフが

常識

はて。
父の言うことは全て常識らしいのです。

例えば。
旅行に行く
遠方から遊びに来る

お土産を2、3個買ってくるのは常識
(家族でも)

お世話になった先生には、学年終了後には菓子折りをもっていくのは常識

今となれば
そこは価値観であって
世の中の常識ではないのはわかるのだけど

そんな親に育てられたわたしも
わたしを中心に回っていると思うようになります。


結婚して主人のご両親と一緒に過ごすことが多くなり

その父が言っていた常識を覆すことが多々出てきました。


主人のご両親は
旅行に行ってもお土産は買ってくるなと言います。

お土産を探す時間・お金を、旅行の楽しみに使いなさい。
お土産はお話で十分よ。

お世話になった先生に菓子折り?いらないでしょ。


極め付けは
お中元・お歳暮も送らなければ
お年玉もありません。


うちの父は
非常識だ!と、怒っておりましたが。

わたしも、父の常識下で育ってきたので、はじめは戸惑いを隠せませんでした。

でも。


主人のご両親の考えのもと
すっごく楽なんです。

お歳暮・お中元の慣習がないので、お金も飛ばなければ、選ぶ為だけの頭を悩ます時間もなくならない。

子供はお年玉がなくてさみしいかもしれませんが、消してケチくさくお年玉をあげないのではなく、ほかの節目節目で色々と買ってもらっています。

常識ではなく
それぞれの価値観。


そう、思えるようになって
これは、取り入れよう
これは、そのままやろう
と、自分なりに価値観を見出せるようになり

異なる価値観を受け入れることができるようになりました。


異なる価値観を受け入れられるようになると、気持ち的にも寛大になれます。


世界が自分の考え中心に動いていると思うと、それに沿わないとイライラしちゃうし、なんで⁇っておもっちゃう。


うちの父は、まだまだ、常識からは、抜け出せないようです。



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