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歴史苦手な人間が大河ドラマを見て考えたこと


もちろん大河ドラマは脚色されており
歴史と相違する部分も多いだろう。
学生時代、歴史は苦手意識が強かった。
そんな人間が大人になって大河ドラマを見て
「もっときちんと歴史を学べば良かったなぁ」
と思うように。
心掴まれ、いろいろ考えたことを浅く書き連ねる。


立場を変えれば見方も変わる

例えば織田信長
明智が見た信長と秀吉の見た信長は全く違ったろう
同じように見ていても、考えが違えば見え方も異なる
この人の妹も波乱過ぎる人生だったろうな、兄をどう見ていたのだろう

身命を賭する、って

文字のごとく身を、命をも、捧げる
当時はそれしかなかったのかも知れない。

だけど心からそう思っていた人もいるだろう。過酷でともすればバカ馬鹿しい、だが一方でそれほど一途に思い賭けられたなら、それが時代を動かし、後世にも残る物語や遺構に
その強さ、勇ましさに戦国武将に魅せられるのかな、
分かる気がした。

ただ自分はよくても、
見送る立場なら耐えられない

私も敬愛する人に出会い
この人に命ぜられれば崖でも前進し
地球の裏側でも呼ばれれば駆けつける、と思った
今でも思っている。(「むざむざと崖で前進なんてさせないから!」って言われたけれど、例え話。でも本気)

それが役に立つか別として、そのくらい信頼をおき、尽くし付いて行きたいと思える人に出会えたことがこの上ない幸運かと。


感情移入する場面(私はどこにいるのだろう)

主役はだいたい男性だが
やはり女性の数奇で過酷な運命に立ち止まりたくなる
跡取りを強制され
それなのに産んで取り上げられて、産まなくて蔑まれ
時に人質とされ、意見を言うことも許されない

私なら誰だろ?
この人なら耐えられないとよく思う。

頬を張られる?!私ならすぐさま張り返す、斬首!
てやんでえ、命がいくつあっても足りないぜ


…いやそもそもそんな世界も知らない村の片隅で飢えを凌ぐことだけで必死な生涯かも。
その愚直で平和な方が幸せか?


正義の有りよう

「義」も繰り返しだが立場や人を変えれば揺らぐ。
今も特に人種や異国に置き換えればそれぞれの正義がある。
戦国は顕著だ、昨日までは正しく正義だったものが
大将や国が変われば価値観が一変する。

私以上に大河を見ている友人は
「昨日の友は今日の敵、討ち合いが多くて気持ちが沈む」と言っていて強く共感した。

“新しき世をつくりたい”

今見ている“義経”も
“麒麟がくる”でも

戦のない穏やかな世に現れるという聖獣「麒麟」(中略)争いの絶えない今の世にあって平和を願う光秀の、麒麟を召くことのできる人物を探す道程が始まる。

Wikipedia「麒麟がくる」より

信長も秀吉も言ってたっけ
戦いまくって、血が大河のごとく多量に流れた時代でも
争いの起こらぬ世を、と。でもそのために戦いが戦いを呼ぶ

現代は日々様々な種類の刺激に満ち溢れ、疲れれば遠ざけ平穏も選べる。愛する国にはいろんな面があり、得たいもの、見たいことだけを取り上げることだってできる。異国とも繋がり身分に関係なく交流し生活が楽しめる。忠義の尽くし方は変わり、血を伴わず負う傷もある

武将は今の世を見てなんと思うだろう


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