【詩】文学館にて

講演という二文字を含む文章の並ぶ紙がファクシミリから流れてきたのは、あれはたしか去年の秋の終り頃の黄昏のことであったが、その翌日にはもう電話が鳴り、◯◯文学館の副館長と名乗る人物が、申し出の件いかがでしょうか?と訊いてきたので、で、何をすればよろしいのですか?と問うと、シについて話して頂きたいのです、という思いがけぬ依頼で、詩についてはもちろん、死についても師についても語り得ぬという確信のあった私は、是非にと請われたのであるけれど、たとえいかなるシであろうとシについて人前で話す自分の姿を思うと赤面、脂汗が浮かぶのを覚え、電話の前で何度も頭を下げて丁重にお断りをして、それからその件についてはきれいさっぱり真っ白に忘れて、またいつもの酩酊生活に戻ったのだけれども、昨夜前触れもなく、明日は何時ぐらいにいらっしゃいますか?とまた件の副館長からの電話が入り、は?と大いにうろたえたのであるが、聞けば私の講演会が明日開催される運びとなっており、「奇才◎◎◎◎氏来る」というポスターまで誂えての触れ込みに、町中の◎◎◎◎ファンの熱気は今や凄まじいものがあります、と副館長が述べるのを、◎◎◎◎が自分の姓名と同音であるのが不思議かつ幾分のこそばゆさがある外は、何処か遠い辺境の出来事にしか聞こえず再度断ろうとすると、それは今となっては叶いません、と今回は強硬なトーンで迫る相手に押されて生涯初の講演をする羽目になったのだけれど、内容は詩について何でもいいから話してくれとのことで、そうか、やはりシは詩であったのか、とこれには弱り果てたのであるが、考えてみれば、なぜ私という男に詩について語れと云って来たのかが皆目分からないのであって、というのも詩のごときものは書いてはいるが未だかつて一度も公に発表したこともなく、書き溜めたものを部屋の机の引き出しに仕舞ってあるのみで、年柄年中酒を飲んでいるか、のびた饂飩のように横になって気球の夢を見ながら眠るだけの毎日を送っている男なのに詩についてなぞ話せるわけもなく、さてこの災難を如何に逃れよう、と思い巡らしてはみたが朝まで何も思い浮かばず、まんじりともせず、◯◯駅前行きのバスに乗り込んだ私ときたら、道々話の接ぎ穂を少しでも考えて行こうと目論んでいた車内では、寝不足と重圧からくる嘔気を堪えるのに必死で、しかし自分の詩のごときものは一種この嘔気のようなものであると云えなくもない、とヒラメキを得たりもしたのだけれど、無情にも小一時間で着いた◯◯市は黄金週間だというのに生憎の小雨模様で、明日には崩れそうな古くて小さな酒場の並ぶ暗い小路を傘もなく濡れながら歩き、やあやあ、どうしたらいいのだい?鷗さんと水鳥に挨拶しながら運河沿いを探してみるが文学館らしき建物は見つからず、もう一度来た道路を戻り、途中のコンビニで道を訊ねて、観光客相手に馴れているらしき女性店員が手際よく教示した通りに進んで行くがどうにも辿り着かず、このままでは何かの物語のようにいつまでたっても館に入り込めないぞ、と不安暗澹、だがそれもいい、このままずうっと永遠に迷っていればいいのさ、この私は、と捨て鉢になりさえしたのであるが、気を取り直して今度は道沿いのホテルのレストランに入り訊ねれば、さきほどから何度も前を行ったり来たりしていた灰色の昔の役所のごとき建築物が目指す場所だと知り、なあんだ、と幽霊のように濡れてようよう文学館に到着したのが開演五分前であり、私が遁走して現れないのでは、とそれは気を揉んでいたらしいススキのようにほっそりとして頬のこけた副館長が、お待ちしてお待ちして頸がこんなに長くなってしまいました、と海藻のようにゆらゆら揺れながら微笑むのに出迎えられ、案内された薄暗く寒々しい会場に恐る恐る足を踏み入れると、町中の◎◎◎◎ファンというわりに座っているのは二十人余りの老若男女、その四十幾つの目玉がいっせいに私を注視するのに堪らず赤面、案の定、汗がどっと吹き出して来るのを覚え、やはり同姓同名の◎◎◎◎氏と勘違いされているのではないか、それとも私◎◎◎◎は詩について利いたふうなことを話せると人々に思わせるような騙りを何処かで演じたり、現在も騙りつつある夢遊病者なのか、と訝りながら、副館長が私を紹介しているのを上の空で聞き流している間に、ほの蒼い空気の後ろの席のその辺り、薄暗がりにいる聴衆の中に、イトウさんにチカさん、オグマさんにイッスイさんなど、この館に縁の顔たちが一瞬ハッキリと見えて、はっ、として自分が何処で何をしているのかも分からなくなり石になりかけたが……縺れた舌でようやく……詩は、ずうっと苦しんでいます、悲鳴を、あげています……と語りだしたまではいいが、四十幾つの目玉に射竦められる中、夜のように暗い窓の外でにわかに凄まじい勢いで激しさ増してゆく雨の音を聞きながら、冷たい汗を浮かべつつ、白紙を前に一行も進めぬかのごとく沈黙したまま立ち尽くす今の今なのだ。
 
 






*初出 2009年『小樽文学館館報』


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