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フェチが強みになって、需要を作り出す

今回の話はわたしからのエールです。

最近の小学校では「夢」っていうのはどう扱ってるんでしょうか。起きているときに見る夢。卒業文集に書かされた「夢」。わたしは消防士と書きました。

個人的な感覚ですが、最近は「自分だけの夢を見つけたい!」っていうよりも「自分が刺さる需要を見つけたい!」っていう風に言った方がしっくりくる気がします、善し悪しじゃ無くて。小学生だってSNS使ってPDCA回してたり、トライアンドエラーくりかえしたりマーケティングできる時代ですからね。音楽家としては「夢」ってふんわり言ってた方がしっくりくるとも思いつつ。

「自分が刺さる需要を見つけたい!」。はてさて、じゃあ自分を必要としてくれる需要ってどうやって探すんだろ。って話になりますよね。

今の時代「みんなに好きになってもらう」ことなんて無理ゲーです。鋭く尖った刺し方の方がいいこともあります。

そう。「自分が刺さる需要」がどこにいるのか。その答えは自分のなかにあるんです。

自分のなかの尖った部分。つまり「フェチ」です。

「フェチが強みになって、需要を作り出す」のです。正確にはあなたの中野フェチが同じフェチを持った人を引き寄せる。

フェチが強みになって、需要を作り出す


汎用性の高い言い方にすると、無理しなくても、がんばらなくても続けられること。好きと意識してないけど、気づけばそのことばかり考えてること。それがそのまま仕事になったら一番幸せですよね。これからの時代、既存の仕事のカテゴリーに当てはめるより、自分がそのフェチを仕事にする仕組みごと作れるようになると思うし、仕事における幸せの基準も、もっと心地よいものに変わっていくと良いなと思っています。

それぞれがそれぞれに探すんです、自分と向き合って。若くてもおっさんでも関係なく、今から自分に向き合ったらきっと世の中とつながっていけると思います。

さてここからは主に表現者(ミュージシャン、漫画家、絵師)に向けた、濃いめの話に寄っていきます。

なんだかんだ表現のパワーが爆発するのってフェチだったり、執着だったり、偏ったエネルギーの力が大きいです。

やっぱり健全なうわべの部分だけでは人の心には刺さりきらない。

でも自分の中のそういう、「普段は口にだせない性質」っていうのはふつふつとエネルギーが煮えたぎっていくので、一歩間違って行き場を持たないフェチズムが公衆の面前であふれてしまうと社会的に抹殺って事にもなりかねない(ミュージシャンで、音楽がなかったら犯罪者だったかもしれないって言ってる人が昔結構いましたが、あれは切実だったと思います)。

大事なのは誰かを直接傷つけたりせずにそのフェチや偏執を存分に発揮できる場所になんとかしてたどり着く事だと思います。

俺はこれがどうしようもなく好きなんだああ!という気持ちを自分だけでも信じて突破していく。どんなに社会的にどうかしてることだとしても信じて大気圏を突破していく(直接的にではなくできればあくまで表現に落とし込んで)。

そしてめでたく宇宙空間に突き抜けたあなたは、あなたのフェチから生まれた表現の、その作品の初めてのファンに出会う。

そっからが始まりな訳ですが。

そんで、さらに思ったこと。
だからってそういう「偏り」を持たないと良い音楽は生まれないのか、普通でノーマルな俺だって表現活動してえよ!みたいな話はよくあるんですがそこはもう簡単な話で。

自分がノーマルだと思うこと自体ナンセンス、なだけですね。

逆に自分が何の苦もなくできること、たとえばですが1時間ずーっと服のしわを数えていられるとか。そういう地味だけど偏ってることこそ仕事につながったりします(する、気がします)。そういう音楽ありますよ、40分ぐらい延々服のしわを数えてるように同じ音を反復する音楽とか、いくらでもあります。そして多かれ少なかれ需要もあります。

そう、あなたのフェチを受け入れてくれる場所はきっとあります。
そこへ向かうことだけはあなたがしなくてはいけません。
たどり着いてしまえばこっちのもの。
思う存分やっちゃってください!


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