乏精子症発覚、その後

またもや前回から3ヶ月以上の時間がたち、つに年が明けてしまいました。明けましておめでとうございます。

昨年はコロナ真っ只中でのスペインからの帰国、間髪入れず日本での不妊治療再開、転職、その上にステイホームと盛りだくさんの1年でしたが、持ち前の楽観主義とマイペースな妻のおかげで楽しく過ごせました。

コロナはまだまだこれから感染本格化ですがどんな時でも楽しみを見つけて生きていくしかないですね。

さて、スペインの不妊治療日記を再開します。前回は、私が精液検査をしてそのなかにほとんど有効な精子がない、と言われたところでした。

帰宅するまでの道すがら、色んな考えが取り止めもなくぐるぐると渦巻いてました。「なんで俺がこんなことに」「そりゃこれまで1年妊活してもできないはずだよな」「妻も33歳で良い年齢だからこの1年は無駄に出来なかった筈なのに」「こんなことなら妻が言うように結婚直後に検査してりゃ。。。」「いやそもそも原因はなんだ!若い時の酒の飲み過ぎなのか、、、ラーメンの食い過ぎか」などなど。全部答えが出ない問いを繰り返すのみ。

走行してる間に帰宅。
時間は6時か7時くらいで結構遅かったですが、腹は全く減っておらず、夫婦二人でリビングのテーブルとソファにそれぞれ腰を下ろし、どうしよっか。。。と。

細かいやりとりは白熱したせいで覚えてませんが、その時目の前にあったオプションは4つでした。

①TESE(精巣内精子回収術)、ただし成功するかは不明。これは私の精巣の中にある精子が数および質ともに最良であるはずで、射精された精子を検査したものより状態は良い筈、というものでした
②精子ドナー提供を受ける
③養子を取る
④二人で生きていく

妻の意見は確か最初、まず①を試みて欲しい、最悪②や③でも愛情を持って育てられるんじゃないかと思う、ということでした。

それに対して私の意見は、たぶんすっかり弱気になっていたせいもあり、①にはビビっており、②は自分と血が繋がっていないから愛してあげられるか自信がない、③は良いかと思うし、④でも楽しくやっていけると思う、というようなことを言ったと思います。

ただ、更に自信を無くした私は「こんなことになっているのは自分の精子力がないことが原因なわけで、あなた(妻)までこれに付き合う必要は無い。あなたの生殖能力は問題ないのだから、他の人と子供を作る権利はある。別れると言うことになっても、俺は何も言えない」と言ってしまいました。

今までここまでショックを受けたことが無かったせいでしょう、この場では逃げたくなっていたのかもしれません。二人の関係という根本的なことを相手に委ねてしまったという今考えればとんでもないことをやってますね。

でも、これを聞いた妻は泣きながら「いやだ。私はやっぱりあなたの顔が似た子供に会いたい!それができなくても一緒にいたい!あなたとだから妊活もやってるんじゃない!」と言い放ち、そこで私はようやくハッとしました。

世の中でここまで自分のことをここまで想ってくれる人間がいるか。その人から俺は逃げようとしてたのか。。。

その後も話はぐるぐる回りながらも、お互い泣きながら胸のつかえを吐き出し、話は少しずつ前進していきました。

結局話は①TESEをやってみよう、ということになりました。
私の中での決め手は、妻の一言と、それを受けての「キンタマから精子を吸い出すことくらい、女性の卵子採取と同じじゃん」という腹決めでした。

その後、男性不妊専門医等との面談を経て、手術日は2020年の2月に決まりました。

肝心の乏精子症の原因については、医師の触診や精巣エコー検査も実施したところ、どうやら精索静脈瘤があるのは事実だが、エコー検査では血管の詰まりは見られない、要は原因はよくわからない、というものでした。

精索静脈瘤
https://ginzarepro.jp/sinryo/varicocele/

なんとも気持ち悪い感覚を覚えつつ、手術日が近づくなかで、本当にこんな大規模な手術が必要なのか?という疑念に拍車をかけたのが、精液検査の結果でした。

実は最初の診断から、手術予定日の間までは、諸々の検査を含め2ヶ月弱くらいの時間が空いてました。

その間も、断続的に精液検査を行なっていたのですが、どうも段々と有効な(直進運動をする)精子の数が増えているのです。

この間私は日常生活にはかなり気をつけており
①ボクサーパンツをやめてトランクスにした(精巣が温まりすぎるのを防ぐ)
②亜鉛を含む食物を取る(タコ、鮪、かつお)
③亜鉛、葉酸のサプリを飲む
④酒を控える
を徹底していたのです。

そのお陰で、健常な男性で1mlあたり1,500万個の精子がもともと2,3万、だったのに対し5万くらいまでは増えていたのです。

このまま増えていけばもしかしたら顕微受精用の有効な精子が取れるのではないか?と考え、クリニックには手術の直前まで採精を続けたい旨、また有効な数が取れたら、顕微受精のために保存して欲しい旨伝えました。

そして手術の1週間前、、、
確か1mlあたり10万個程の精子が取れ、直進運動率も問題なく、担当医師からこれならTESEの手術は必要ない!とのお達しが!

いったん腹は決めたものの内心精巣に管を入れるということにビビりまくっていた私は大きなプレッシャーから解放されたのでした。

長くなりましたが、それが2020年2月末の出来事。
担当医師と相談し、次は妻からの卵子採取と受精、そして胎内に戻すスケジュールを相談。

私はビジネススクール卒業が5月半ばだったため、2回か3回しかトライできない。

一般的には、3回やって妊娠するかどうかという確率の中、踏み切るかどうかも迷いましたが、ここまでやったのだから、やれるところまでやろう!とスケジュールを決めました。

医師からは排卵誘発剤、ホルモン剤が処方され、医療通訳をつけ慣れない言語での説明で妻は注射の打ち方を学び、怖がりながらも毎晩自分でお腹に注射をしつつ薬を飲む様子を、私はただ見守りつつ、最初の採卵日を待つ日々。

そんな中、コロナがやってくれました。

私たちが住んでいたスペインでは、3月に入った頃から感染者が爆発的に増え始め、その急激過ぎるペースに3月第一週頃には医療崩壊が騒がれていたと記憶しています。

3月第二週に入ったころ、私が通っていたビジネススクールでは学生の登校が禁止され、すべての授業がオンラインに切り替わりました。

そして3月13日。
朝から、学生同士のチャットグループが騒がしい。
「明日からバルセロナはロックダウン(都市封鎖)になるらしいぞ)」

えっ

テレビ、ネットを見ると首相がその方向で調整しているような旨のニュース。

ちょうど会社の人事部の後輩といつも通り他愛もないことでLINEをしていたので、明日からロックダウンらしい!と言ったところ、秒速で人事部のマネージャーから電話が来ました。

「明日明後日で帰国して下さい。」

えっ

えっ?

予定していた採卵日はその数日後。
時間がない中緊急家族会議を開くことになり、結果「採卵はキャンセルして、すぐ帰国」となりました。

理由は、

①このペースで感染が広がったら外国人として命の保証はない(ベッド数が早くも不足し始めている情報があった
②会社にごねて採卵日まで待つことはできるが、身体の負担もあるしすぐに動けないかもしれない。その間に、飛行機がすべて欠航になる可能性がある
③1回だけでの成功確率は極めて低いだろう

これまで行なってきた投薬、注射や、もっとバルセロナを楽しみたい笑という思いで妻にはかなり即帰国に難色を示されたのですが、命優先でなんとか説得。

方向性が決まったら、後は採卵キャンセル含めどう脱出するか。
頭の中でミッションインポッシブルのBGMがかかり始めます。

と、このあたりで続きは次回。
結果的に見ると、スペインでの妊活はコロナによって強制的に終了させられてしまいました。
ただ、それまで舐めた辛酸が我々をたくましくしたのでしょう、早くも日本での不妊治療再開を当たり前として考え始めていました。

不妊治療は精神的にも金銭的にもつらいことばかりで、続ける意味を考えると逃げ出したくなることもありますが、忘れないでほしいのは一人でやってんじゃないんだよ、ということです。二人がさらに幸せになるためにやってることなのだから、二人で乗り越えようとしてください。

きつかったら、乗り越えられなくてもいいと思います。その時に惨めだったり情けなかったりする姿を見せ合ってお互いに向き合うことが、夫婦の信頼関係につながって、更なる困難も乗り越えよう、というガッツにも繋がるんじゃないかな、と今振り返ると思います。

では、次回は激動のバルセロナ脱出と日本での不妊治療再開を綴ります。長々とした文章を読んでくださりありがとうございました。


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