行くがマストのプランナー
ウェディングの現場には様々なスペシャリストが居て、当日はプランナーがやれることなど無いに等しい。事前に準備が整い、何もやることがないというのが理想である。当日は大船に乗ったつもりでその道の職人さんたちにお任せすればよいのだ。
しかし現場を知っていればいるほど、ディレクションの重要さがわかってくる。オーケストラでいえば指揮者のような存在。せーので集まった職人気質のスタッフ間の息を合わせるといった役割だ。ゲストにとっては何でも聞けるコンシェルジュ。新郎新婦もこれまで一緒に準備してきたプランナーがその場に居るだけで心強いことだろう。私はディレクションに加えて音響PAやアテンドなどのお役目を何かしらやりつつ、いつも施行の現場にいた。たとえどんな事があろうとも。。
骨折
雪の舞う寒い日だった。明日使う資料を持ってサロンから一旦外へ出て会場へ向かう途中、飛び石が凍っていてツルンと滑って転んだ。
持っていたCDがまわりに散乱し、暗い中で拾おうとしたが足先が痛くて立てない。真っ先に考えたのは「明日の結婚式どうしよう」
何とか大事なCDを拾いセッティングをして家に帰った。足を冷やして鎮痛シップを貼るもどんどん腫れてきた。もう夜も遅いし明日は本番。病院に行かず朝を迎えた。
足の甲は2倍に腫れてパンプスが入らない。テーピングで固定したら歩けるかと思ったがまともに歩けない。その日私はアテンドをやることになっていたが音響スタッフと交代した。片足、夫のゴツいサンダル履きである。
次の日に病院に行ったら骨折だった。といっても足の指の1本だけ、指先の小さい骨なのに骨折ってこんなに痛いんだ。。と思った。
インフルエンザ
結婚式を一週間後に控えた新郎新婦と最終打合せをしていたら、急に背中がゾクゾクッとした。早々に切り上げて病院に行くとインフルエンザと告げられた。真っ先に考えたのは「新郎新婦にうつしたかも」
私はすぐに今日お会いしたすべてのカップルへ連絡をした。中でも来週本番のふたりには「何かあったらすぐにお知らせください」と言うと共に、栄養ドリンク、ビタミン剤、にんにくなどを大量に摂取しまくった。
2日後「新郎が熱を出しました。インフルでした」と新婦さんから連絡。
うわっ!あと5日しかない。
後から聞いた話では、新郎お父様が知り合いの医師に頼んで【すぐに治る注射】というものをしてもらったらしい。そんな注射があるなら教えてほしかったが、私は自力で治し施行に加わることができた。
とにかく結婚式を挙げることができたし、その足で旅行にも行けたからよかったものの、結婚式に加えて新婚旅行の飛行機やホテル等々キャンセル料となったら本当に大変だった。プランナーも人間とはいえ、よりによって近々の新郎新婦にインフルをうつすという失態はうん百万円の損害賠償ものだ。
義父が急死
仕事中に夫の実家から電話。めったにないことだ。義父がバイクで交通事故にあったという。夫に電話すると「ふ~ん」と塩反応。
いやいや違うから。ちょっと転んだとかじゃないからたぶん。。
程なくして亡くなったとの連絡が。
もうすぐ明日のサプライズウェディングの仕掛人が搬入にやって来る時間だ。早くこの場を去らねば!「あとはよろしく、、」と言った目線の先に幹事さんたち。「こんにちは〜」
夜に夫の実家に行って事の顛末を聞くも「明日と明後日、本番が…」と夫に小声で告げた。いや、よく言えたものだと思うが、お葬儀の予定はその後になったしスケジュール的には全部行けるのだ。
サプライズウェディングは賑やかなパーティーだった。友人を50人も集めて会費を募り、限られた予算内ですべて準備した幹事さんたち。「サプライズ大・成・功!」と私も一緒にピースサインで集合写真に加わるなどした。
次の日は家族だけの温かい結婚式だった。大好きなお父さんと腕を組んでチャペルに入場。両家20名ほどで大きなテーブルを囲み会食。新婦さんは学校でいじめにあい友人と呼べる人がいないとのことだった。心の底から「おめでとう」とスタッフ皆で祝福をした。結婚式の規模やスタイルはいろいろあるが、秤にかけたとてみな同じ。その価値に重いも軽いもない。
その次の日はお葬儀。棺の義父に「ありがとう」と言ってぼろぼろ泣いた。かくして私は結婚式とお葬儀の現場を行ったり来たりして、どちらもミッションコンプリート。
たとえ私がいなくても
それほど結婚式当日のディレクションは私にとって必須である。誰が何と言おうが、特に何もすることがなくても、その場にいないという選択肢はない。しかし私が当日の現場に"何をおいても”立ち会う理由は、とどのつまり「楽しみだから」に他ならない。半年~1年間準備をして当日のおいしいところだけ味わえないなんて悲しすぎる。大きい式場では分業制となっており、打合せだけ、当日だけ、やっているプランナーがいるが、いったい何が楽しいのだろうかと思う。一貫性でやってこそ楽しいのだ。
しかし例え私がいなくても全く差し支えないように、誰が見てもわかる資料一式を前日の会場に置いて帰る。これを私は「遺言」と呼んでいる。当日の朝、万が一私が事故にでもあい来なくても、予定通りに滞りなく結婚式は執り行われるように。実際、指揮者がいなくても譜面通りにオーケストラは弾くであろう。かえって能動的に息を合わせ一致団結するかもしれない。。
自分や家族を後回しにしてきたことは否めない。子どもの運動会より大事だったのかと聞かれれば「それは違う」と今でこそ思うが、
人生、後になってみないとわからない事の方が多いのだ。
現場からは以上です。
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