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一年で一番好きな日

「カズオっていう友達が言ってたんだけど、一年の中で一番好きな日は冬至なんだって。変わってるよな。」

取るに足らないこぼれ話が、ふわっと漂い床に転がる。

一年で一番好きな日なんて子ども染みた問いと、それに続く冬至というワードのミスマッチ感。子どもならさしずめ誕生日とかクリスマスといったところだろう。だが好き嫌いは誰にも侵せないパーソナルな領域だ。幸い興味もないし放っておけば良い。突拍子もなくどうでもよいその無駄話は、つけっぱなしのTVの音と混じり合った。

「それでさ、なんで?って聞いたら、冬至は一番日が短くて明日から日が長くなるからだって」

・・・掴みどころがない。おそらく深い意味は無いのだろう。もしも興味はないが会話を楽しみたいのなら、どうしてカズオは日が長いほうが好きなの?農家だっけ?それとも何かアウトドアの趣味でも?などと聞くだろう。

あるいはカズオは何か悩み事があって今日より明日はきっと良くなると信じて頑張っているという話か。はたまた仏滅に結婚式を挙げる人がよく言うように、今の幸せがさらに上向きに続いてほしいという話か。

しかし知らない人のこぼれ話を拾う気はさらさらない。私はカズオを知らない。

「ふーん。」


人生の大半はムダバナシ

それなのに、観ないTVは何故つけるのだろうか。
娯楽とも情報とも呼べないのに。

日常会話の殆どはムダバナシだ。人の身体の70%は水とムダ話でできている。このnoteもとても重要なムダバナシ。

ふーんと言って終わる話、だけどなにか引っ掛かるから不思議。
「冬至って聞くとカズオを思い出すんだよな〜」

不思議は人を引きつける。
だから何?といいつつ「1年で一番冬至が好き」という感性はとても繊細なのではないだろうかと、私もまんまと引っかかっている。

不思議はロマンチック

SNSもまた、ムダバナシの温床である。
タイムラインを流し見していると、通っているクリニックのSNSに「冬至。一年で一番好きな日」と書いてあった。先生も繊細な感性の持ち主であったか、ロマンチストさんね~

私にとって一年で一番好きな日はいつだろう。考えながら眠ることにしよう。


おやすみなさい。


【一陽来復】いちようらいふく
陰の気が極まる冬至。
冬の寒さはこれからが本番でも、
冬至を境に陽の気が復活し徐々に力を増していくという。

悪いことが続いていても良いことに切り替わる転換点が冬至だ。



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