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フィリップ・K・ディック 『高い城の男』

フィリップ・K・ディックの小説を読んだのは、高校生のときに『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで以来、実に20年ぶりになる。アマゾン・プライムで同書を原作とするドラマ・シリーズを数回見て、正直あまり面白いとは思えなかったので中断し、原作はもっとマシなのでは…と期待を込めて手に取った。思えば『アンドロイド…』の方も、かの大ヒット映画『羊たちの沈黙』を見たことがきっかけで読んだのではなかったか(こちらの映画は傑作の部類だったが)。

舞台設定はかなり魅力的である。
だって、ドイツと日本(とイタリア)が第二次世界大戦に勝利した世界のお話ですよ。思想の弾圧や拷問、ユダヤ人迫害という戦時下の恐怖がそのまま続く、暗澹たる世界への想像力が掻き立てられるというもの。ドラマ版はドイツ統治下の米国が舞台。ほどほどの美女が妹の遺志を継ぎ、秘密を守るために逃避行するというストーリーを主軸に、日本人高官やドイツ人軍人やユダヤ人男性(美女の恋人)など、さまざまな立場の人物がそれぞれの思惑を胸に動き回るという、少々つかみどころのない展開を見せる。謎めいた要素が漠然としすぎていて興味が続かないせいか、3回見たところで脱落。

小説版ならいけるんじゃん、だってヒューゴー賞も受賞しているもの。と思ったのだが甘かった。ディック舐めてた。

笑うところなのか真面目に読むべきなのか

※以下、ネタバレあり。

田上さんの部下であるラムジー君や、アメリカ美術工芸品商会の経営者チルダン氏のような拝日派白人、つまり日本人に迎合しながら生きている米国人たちが誇りを取り戻すお話でもある。人生に行き詰まり、くすぶっている者たちが、ささやかながらも反乱を起こし、誇りを取り戻す。それが出発点となり、同様の志をもつ人々が増えていくことで新たな未来の可能性がひらけてくる。そういったものを予感させるストーリーだ。

最も印象的なのは、日本人、アメリカ人に関わらず、誰もが「易経」で未来を予測しようとする態度だろう。つまりはすべては天任せ、自分の(人間の)力ではどうにもならないと思っている。占いを信じて行動するわけだ。

これをジョークと受け取るべきか、読みながら首を捻った。
シリアスな登場人物である田上さんが、「今やりますか!?」というタイミングで「筮竹(ぜいちく)」を取り出し、占い始める。とても真剣に。
また、田上さんが、訪問客であるバイネス氏に恭しく差し出した贈り物が、黒いビロードの上に安置されたミッキーマウス・ウォッチ、という場面には吹き出した。田上さんは「アメリカの昔の工芸品」の芸術的価値が自分では分からず、専門家や部下の米国人に確認するしかないために「ミッキーマウスってどうなん?」と半信半疑ながら、真面目な顔で要人に贈呈する。その姿がたまらなくおかしい。

ドラマ版では、空手の心得があり、聡明で美しい女性として描かれるジュリアナだが、小説版では精神状態が不安定で贅沢好きな浮気女(ただし相当な美女)でしかない。夫の元を飛び出し、身元の知れない男とだらだら付き合い続けるような意志薄弱な女性なので、物語の核を為す人物とはとても思えないまま読み進めることになるが、物語のキーとなる小説『イナゴ身重く横たわり』を読み進めるうちに彼女の中で何かが少しずつ変わってくる。ただその変化が表立って語られることなく、終盤になって突如、行動として現れるところが衝撃的。ラストの会話もどう受け取っていいのやら。

説明が薄く、場面が急展開し、登場人物が見えない啓示を受けたように唐突な行動をする。本人すら、自分の変化に気づかないままで。
でもそれって、現実もそうですよね? 本人の中では徐々に想いが醸成されて行動に移すわけだが、はたから見たら唐突に思えるわけで。

正直、少しでも作品の意図を読み取れているか、甚だ自信はないのだが、なんにせよすごく楽しめましたよ、ディック。他の作品も読んでみよう。


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