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ティコの星|ショートストーリー

夢を見ていた。幼い頃の夢だ。

僕はあの人とブランコを漕いでいる。
ギイと音を立てて鳴るブランコは、すこしばかり錆びついている。

生まれつき顔に大きな痣があった僕は、転校した先でなかなか友達が出来ずにいた。
髪が長い年上のあの人は、公園でいつもサイダーを飲んでおり。僕は両親の帰りが遅い日、いつも家の前の丘にある公園で彼女と話していた。
「やぁ」
「こんばんは。」
「また君か、友達はどうした。」
「僕は怖がられるから。」
「そうかなぁ。」
「そうなんです。」
彼女は不思議な人で、昼間は一体何をやっている人なのか見当がつかなかった。もしかして、仕事なんてしていないんじゃないかとすら思っていた。

その日も僕とあの人は、どこまでも、どこまでも上にと足をぐんとのばしては、彼女とどちらが宇宙に近付いたか競争していた。
「ねぇ、ティコの星って話知ってる?」
「知らないです。」
「そうかぁ、気になったら調べるのが小学生の醍醐味だよ。」
「気になりません。」
「またまた、君、この星空の中にその星があるかも知れないよ。」
「じゃあ教えてくださいよ。」
「そうだなぁ、君が大人になったらね。」
結局あの人が教えてくれることはなかった。
近寄っては遠ざかるその星々が、実は何光年も前の光だと知ったのは、最近の事だ。
僕はまた引っ越しをした。

目が覚めると、時計はまだ夜中の2時を指していた。蒸し暑い外の空気がじとりと肌に付き纏う。
今夜は星が見えない。

しばらく経ってから、あの街が開発されるという話を耳にした僕は、なぜだか1番に彼女の顔が浮かんだ。「やぁ、君か」という柔らかな声すら忘れそうになっていたから自分でも不思議だった。

僕はリュックに着替えと財布を詰めてあの街に行ってみることにした。町の建物は取り壊され、ほとんど残っていなかった。
瓦礫の山、工事中の札、もうきっとあの頃には戻れないという思いが寂しげに囁きかけてくる。

あの丘の公園に行くと、唯一ブランコだけがまだ使えるようだった。僕はギシリと音を立てるブランコに座り、あの頃はやっと届いた地面に足をしっかりつけて漕ぎ出した。
あたりは街灯もなくなり真っ暗で、あの頃よりもっとたくさんの星が見えた。あの人にはもう会えない。

ぐっと空に向かって飛び出すようにブランコから飛びだした、これもあの頃は怖くて出来なかったことだ。彼女がよくやっていたから、引っ越した先でこっそりと練習をしていた。

ふと飛び出したブランコの裏に何かが貼り付けられていることに気がついた。ビニールに入ったそれは手紙のようだ。
開いてみるとこんなことが書いてあった。

「ティコの星のことが知りたくなったら、ここに行くといいよ」
書いてあったのは隣町のプラネタリウムの名前と、そんな言葉だった。

僕はそれからティコの星について調べてみることにした。調べて、そして彼女に会いに行こう。 

調べてみると、どうやらティコの星は、超新星爆発の際に観測されたものらしい。そうして、その星は、かつて宮沢賢治が『よだかの星』という話を書く際にモデルにしたとも言われていたようだ。

よだかの星についても調べた。

よだかは、その醜い容姿から他の鳥たちに嫌われており、自らがたくさんの虫の命を奪って生きていることに絶望したことから、死に場所を求めて空を飛び回り、そうしてよだかは空へ向かって飛び続けて、やがて命を落とし、最後は星となって今でも地上を照らす存在に生まれ変わる…という話だ。

捻くれていたあの人は僕にこれを読んで、どう思うか聞きたかったのかも知れない。はたまた教訓として話したかったのかも知れない。
だけど僕も大概捻くれていたから、当時は調べることもしなかった。

例のプラネタリウムに電話をかけてみると、おじいさんが電話口に出た。
彼女の名前を告げると「その子はだいぶ前にここを辞めてしまって、今は旅に出ているよ」と教えてもらった。
なんだ、あの人仕事してたんだ。
窓から見える夜空には星が瞬いていた。

僕はよだかにはなれない。だけれど、世界のどこかにいるであろう彼女が空を見ているのかも知れないと思うと、あの星は、遠いようで実はすごく近いような気がした。まるで彼女はブランコから見えた星のように、近づいては遠ざかっていく。

だけども、なぜだか寂しさはなかった。
いつか会える予感がしているのだ。
こんな広大な星々の中で会えたんだから、きっといつか会えるだろう。その時はまたブランコに乗って話をしよう。

明日から夏休みだ。
僕もどこか行ってみようかな、星が見える場所へ。

ティコの星
1572年に出現した超新星をティコの新星と呼ぶ。ティコ・ブラーエが詳しく観測したからこの名称がついた。ティコ[Tycho]を「チコ」と表記する場合もある。ティコの新星は、カシオペヤ座に現れ、1年以上に渡って肉眼で観測された。最大高度の達した時期は昼間にも見えたという。現在、ティコの超新星が出現した場所には、電波源・エックス線源が残っている。宮沢賢治のよだかの星のモデルとされている。


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