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ふたつのプールと夏

今となっては好きなのか嫌いなのか、わからないけれど、私がプールと聞いて思い浮かぶ場所はふたつある。

ひとつは、小学生のときに通っていたスイミングスクールのプールだ。

1階はプールになっており、2階は親などが上からプールで泳いでいる子どもたちを見学できるようなスペースがある。
泳げる度合いによってクラスが違い、水泳帽とそこにつけるワッペンで、その子がどのくらいのクラスにいるのかがすぐわかるようになっているそのスイミングスクールに、小学1年生から4年生くらいにかけて、毎週木曜日バスに揺られて通っていた。

シャワーを通ってプールのある1階に足を踏み入れると、反響するのはコーチの声とピーッ!という笛の音、飛び込み、水を足で思いっきりかき混ぜる音。プール独特の塩素の香りを肺いっぱいに吸い込んで、いつものコースに並ぶと準備運動がはじまるのだ。

周りの子達の中には、きっとプロなんかを目指したいだとか、タイムを早くしたいだとか、もっともっと上のクラスに行きたいだとかいう子もちらほらいた。そんな中で私は、ただなんとなく通っていたよくいる子供たちの中の一人だった。

私は水の中になんとなく”いる”瞬間が好きだった。

飛び込み台を足で思い切り押し上げるように蹴り上げ、ゆらゆらと水色が光る水面に向かって、両手を伸ばし吸い込まれるようにダイブする。
水に飛び込んだ瞬間、一瞬のうちに、世界から音がこもるように聞こえ、ゴーグルの中で目をあける、つめたい水が全身をなでてゆくのを感じながら、グンと力を足につたわせ、両手は何か先を目指すように前に前にと伸ばしてゆく。水の中を滑るように進んでゆく。
自分が地上にいるときとは、違う生き物のような感覚を覚えるその瞬間が好きだった。


ふたつめは、夏休みの小学校のプールだ。
山の上にあった私の小学校は、夏休みにプールを開放していた。
曜日が確か決まっていて、なんとなく泳ぎたいときに朝から自転車に乗ってプールに行った。
授業のときとは違う夏休み独特の、好きに泳いでいいあの空間が好きだった。人もまばらで、同じクラスの子たちは朝から泳ぎにくる子はあまりいなかった。プールに行って遊びたい子は、もう少し遠くにある流れるプールなんかがある、市民プールに行くからだ。
誰かかから「こうやって泳いで」というルールの強いられないその空間で(もちろん先生はいたけれど)スイミングスクールとは違い屋外にあるそのプールには、少しだけ葉っぱが浮かんでいたり、校庭からはサッカー部が部活をしている声が聞こえてきていた。
私はそのプールで、大きく息を吸い込んで水の中に潜るのが好きだった。

夏のささるような眩しい日差し、ライトブルーの水面、管理された水温ではない少しひんやりした水、塩素の香り、はしゃぐ子供たちの声。
30分くらい泳ぐと満足して、また自転車に乗って家に帰るか、校庭に遊びにきた友達と夕方になるまで遊んでいた。

だからだろうか、プールと聞くと夏が思い浮かぶのだ。
どちらも私にとってはプールで、
水の中にいるときは私は違う生き物になっているように感じた。
誰かと競ったり、比べたり、様子を伺ったり、
そんなものがない世界だった。

”プール”と聞くと
私はふたつのプールが思い浮かぶ。

スイミングスクールの”プール”と
夏休みの小学校の”プール”だ。

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