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設計課題のガイドラインの見つけ方。

先日、非常勤をしている専門学校の卒計の講評会があり7人が自分の作品を発表した。設計課全員に向けての発表でとても緊張しただろう。その総評を頼まれたので、お話してきた。それを受けて卒計について今考えた事を書いてみている。


建築設計とは何なのか?
何を設計しているのか?建築である。
では、建築とは何なのか?簡単な様でいて、難しい。殊更、建築家が建築という場合、建築家以外の人が考える建築からは逸脱している気がする。


専門学校で卒業制作を担当してみて学生の作品はコンテンツ探しで終わってしまう人が多いなと思う。(自分も学生の時はそうだったなと思う。)

「自分の知っている街で足りないものを探してそれを作る。」
「自分が気になった場所の問題点を探してそれを作る。」
「自分が好きなビルディングタイプを作ってみた。」

そう言う思いで、図面を描いて模型を作って完成させる。これだけで十分にすごいのだが、もう一歩進んで考えられた人が全体での発表作品として選ばれていた気がする。
とはいえ、一歩進めるとはどういう事だろう。一歩進めるためにはどう考えるのか。一年生の参考になる様な点は何かなと考えながら、発表を聴いていた。

下記は説明を聞きながらメモをした事である。

・機能の重なっているところに新しい関係性が産まれる可能性がある。隣り合う機能の間、設計されていない部分に楽しさがありそう。

・ハイシーズンと言うものがある地域には、そうじゃない時期に可能性を見つける事が出来ている。それを空間として立ち上げたかった。

・他の国にはあって国内にない施設やそこでの文化活動を自国に取り入れる可能性を探る。オペラハウスで行われる『社交』という場所について。
そこにない文化を解釈して取り入れる試み。

・敷地にある魅力は土地に任せてそれを補う形で計画をする。土地の文脈とその周辺の文脈を読み取って混ぜていく。

・駅通過動線を移動という行為だけではなく、他の行為を誘発する様な空間を作り、移動以外の方法で移動させる空間にする。ペデストリアンデッキというよりも、予備動作としての場所。

・自分がよくあると思っている街を大きいショッピングセンターのインパクト勝負に対して、スポンジの毛細管現象のように行為を吸い上げていくような計画。点描のような感覚で配置していく。

・シンボルと産業を取り込み、分断された街を繋ぐ計画。店舗開発は周辺に任せ駅と人の流れや滞留にフォーカスした計画。


これらは課題に対して感じたメモなのでこれだけ読んでも何のことかな?となってしまうかもしれないが、それぞれ、

・集合住宅と図書館や公共施設の計画
・スキー場に関する計画
・オペラハウスの計画
・アグリツーリズムの受け皿としての施設
・駅と駅を繋ぐペデストリアンデッキの計画
・地元の街区の計画
・駅の計画


である。

共通してるのは、多くのアイディアが、行為と行為の間、コンテツンと人との間、向こうとこちらの繋ぎ方など、『間』の計画をしていると言えるかもしれない。ペデストリアンデッキや駅の様に間を直接計画しているものもあれば、街区や施設同士を設計することで間に産まれる空間を間接的に計画している人もいる。
文化も無いところに新しい物を取り込む、その取り込み方やそのための空間を用意している。
新しい空間に名前を与えてみる。

何もない『空(から)』の『間(あいだ)』を計画している様に思える。しかし、何もないからこそ、関係性が入り込む余地がある。そこには特定の行為だけではないある程度の振れ幅を持った意味が生まれるのかもしれない。そういう意味で『空間』の設計をしていると言ってみても面白いかもしれない。

これから設計を勉強する人には良い参考になりそうだと思う。卒業制作の展示などが開かれるので、それを見るのに、ヒントとしても良いかもしれない。
『間(あいだ)』のあり方を意識して見ても良いかもしれない。

また、これらの案は全て批評性があったと言えるかもしれない。僕が言う、批評性と言うのは、『今ある物、今の状況を分析評価して、それに対してこの建築を建てることで、新たな空間を提案する』事である。
批評性がないならあまり作る意味は無いかな?と思われてしまう。かなり重要な部分だと思う。

これらを設計の補助線として持っていると少しだけ進みやすいかもしれない。

当然この通りの設計ばかりでは無い。それは各人が方法を探していけば良いと思う。そうして欲しい。ただ、どう手をつけて良いのか?建築初学者にとってのガイドラインになるかもしれないなと思う。
建築設計は大変だけど、やり甲斐がある事だと思うが、やり方や評価軸が不明で嫌になる人が多い気もしている。少なくとも僕はこの様な視点で評価してるというのはあるのでそれを説明してあげたら良いのかな?とも思う。

設計に赤入ればかりするのではなく、グループで批評をしあう、互いに分析する事をすると、少し理解しやすくなると思う。その為にも、他の人が講評や、指導されている内容も必ず聞いておこう。そういう講評などは結構他の人にも当てはまったり、人の意見が自分の意見の側面を眺めていたりする場合がある。聞いておこう。メモを取ろう。
なので講師も、指導だけではなく、クリティークになる様な感じにしたい。とも思う。

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