見出し画像

たくさんお金を受け取って、たくさん好きな人やお店や会社に回せばいい。

 今朝 facebook を開いてはじめて、知人の訃報を知った。一緒に仕事をしたわけでも、とくだん親しいわけでもない。けれども、何度かご挨拶はしたことがあったし、その活躍はよく目に、耳に入ってきていた。年齢もまだお若かったはずだ。その理由もわからず、現実をうまく受け止めることができなくて、ぽかんと口をあけたままその場で固まってしまった。

 いつもより腹に力を入れて立ち上がり、顔を洗い、髭を剃って身支度を整える。きょうは朝から体のメンテナンスに行く日だ。施術してくれる方の屈託のないニコッとした笑顔は、沈んでいた心を元気にしてくれる。まだまだ、ここからが本番。ベッドにごろんと横になって、ぼくはだらんと脱力した。

 施術中だったということもあり微睡んでいたから、どうしてそんなことになったのか経緯は覚えていない。ひょんなことから施術料金の値上げの話になったのだ。「お客さんにこんな話するなんて変ですよね。普段はしないんですよ」と恐縮した声だけが聞こえてくる。

 上げたほうがいいと思いますよ、ということをお話した。もちろんぼくもお客さんだから、自分のお財布事情だけを考えたら、安いほうが助かるのかもしれない。がしかし、ほんとうにそうだろうか、と思うのだ。ということでというわけでもないが、施術が終わったあと、値上げした価格をお渡しさせていただいた。(とっても丁寧な方で延長してまでやっていただいたということがあったのもあり)

 純粋にその方の施術技術と価格が見合っておらず安いと感じていたし、だったらば、先んじてプラスしてお支払いしたほうが、お互いにとっていいと思ったのだ。「いやいやいや、そんな……」と恐縮されていたが、「でしたら、神さまからのプレゼントということにして受け取ってください」と、どうにかお渡しさせていただいた。

 もっとみんな、たくさんお金を受け取って、その分たくさんまわりの人に回していけばいい。そこに罪悪感を感じる必要はない。そうしたらきっと、お金は豊かにめぐっていく。それがいいとか悪いとか、そうしたほうがいいですよとか、そういうことを言いたいわけではなく。それがぼくにとっても、お金を受け取る側にとっても、そしてその立場はくるくると変わるものだし、だとしたらお金がどんどん回っていくほうが純粋にたのしいよなぁと、ごく個人的に思うのだ。

 人生には限りがあるし、とりあえず末吉宏臣としての人生は一度きりの可能性が高いし、思う存分たくさんのお金を受け取ろう、そして好きな人やお店や会社にお金を回していこう。それって、最高にたのしいよなぁ、と思うから。

 遠慮することなく生きよう。悔いのないように、きょうは静かに強く、そう思いました。

✳︎ ✳︎ ✳︎

 きょうも読みにきてくださって、ありがとうございます。信頼できる体のメンテナンスをしてくれる方を持っておくのは大事ですね。午後から眠くて眠くて仕方がありませんでした。無駄な力というかエネルギーというかが抜け、自然体に戻ることができました。

画像1

 有料マガジン読者限定記事でしたが、100円で購読いただけるようにしました。自分の記事に値段をつける(それは記事以外においてもそうですが)ことについて書いています。ピンときた方は読んでみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?