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note から生まれる小さな癒し。

 ぼくはよく他の人の  note を読みます。それも特定の人のものではなく、ほんとうにいろんな人のを、です。そうするとじつに多種多様な note に出会います。うれしく喜ばしいものもあれば、かなしく痛ましいものもあって。読むものに線引きはせず、大げさに言うなら出会いの奇跡みたいなものを感じながらいろんなものを体に、心に、インテイクしていきます。

 ついこのあいだ、あるイベントで質問されて、その理由について考えをめぐらせました。小さな物語を読んでいる感覚で、ときには事実は小説より奇なりなどと申しますが、それはそれは(いろんな形容詞をひっくるめたうえでの)おもしろさがあるのです。なんだろう、ある種のつまらなさなんかも含めて、生の人というか人生というか、物語のかけらが note には散らばっています。

 うれしく喜ばしいものから、かなしく痛ましいものまで、他の人の  note を読んだとき、自分の心の動きを観察します。ほっこりしたり、たのしくなったり、おうえんしたくなったり、ときにはかなしくなったり、いきどおったり、せつなくなったり、、、会ったこともない誰かの小さな物語に寄り添うのです。

 よかったですね、とか、すこしでもいい形になりますように、とか、、、でもほんとうはそれよりもっとささやかで、適切なことがありますように、くらいの小さな思いを寄せます。さらにさらにほんとうは、その人になにか声をかけるなんておこがましく。自分のなかに生まれた気持ちを味わい、その気持ち(それは一見ネガティブと思われがちなものも含めて)を感じさせてくれて、ありがとう、と思うようにしています。

 それはもしかしたら、ほんとうにもしかしたらですが、(小指の一本ぶんくらいの希望を持って)その人の、いやこの世界の癒しになるかもしれない、なんて思いながら。きょうもまたぼくは、いろんな人の note へお邪魔します。

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 きょうも読みにきてくださって、ありがとうございます。妻と娘が仕事終わりのウエスティンホテルにやって来るということでソファに腰かけて待っています。ひと足早く飾りつけられた Xmas tree を観に行くのがたのしみです🎄

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 小さな癒しをえらんでいると、自分の気持ちがクリアーに平安になっていくのを感じます。そうなるにつれ、以下のような気持ちが強くなっていくのです。

 有料ですが、ピンときた方はぜひ読んでみてください。ド直球ではございますが、みんなでしあわせになりましょうね。

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