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目的なく、受動的、もありじゃない?

目的って、ほんとうにいるの?
目的なんて、いらないんじゃないの?

かくゆうわたくしが、目的なるものを大切にこれまでの人生を送ってまいりました。こうして一人の人間として生まれたからには、この人生にはなにかしらの目的があるのではなかろうかと思い、いや信じて生きてきたような気がいたします。

しかし、2018年4月5日現在。目的なんてない、もう少し正確には必要がないのではないかという仮定的結論に至っている次第です。

人生の目的なんていう大袈裟な話を持ち出さずとも、たとえばこの毎日のエッセイ。これを書く目的はあるのか、ないのか? もちろん、あるといえばあって、いくつも搾り出すことはできるでしょう。( 先生っぽく、偉そうに )それらしいことも言える気がします。しかし、なんだか違うのです。

という考え方なりことばを、ぼくの無意識の押入れから引っ張り出してくれたのが横尾忠則さんです。

これまで書いてきた考えなりことばは、「じぶんのものです!」と言ってしまいたい気持ちがなきにしもあらずでしたが、横尾忠則さんのことばを引用させていただくことにしました。そう決めたのには、もうひとつ理由があります。

ぼくのなかには、意見なり言いたいことなりはないに等しい状態です。落ち込んでしまうこともあるくらい、受動的な人間であると思っています。ツイッターのTLを眺めていると、「うんうん。そうそう!」とおもしろがって、納得してツイッターをひっそりと閉じる…ことが多くあります。「10日間で1000人のフォロワー集めました!」みたいなのは、無理だなぁと凹む日々です。

だけれど近頃、思っています。おもしろがったり、いいねと思ったり、応援したり、誰かとなにかをやる、のは好きなんだと。それでいいじゃないですか。じぶんの確固とした軸やら意見がなくてもいいじゃないですかと。

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指を動かしていたら、こんな文章のいっちょあがりぃ〜。横尾忠則さんのツイッターはフォローしておくことをおすすめします。不意にガツンときますよ、ガツンと。

今日の有料マガジン読者のコーナーは、「村上春樹さんの人生の目的に関する考察」についてです。あんまり真剣に考えたことはありませんでしたが、この考え方にも( 知らないうちに )ずいぶん影響を受けていたことに気がつきました。ことばってすごいなぁ。

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