満員電車で出会ったくたびれた中年男性のこと。

 満員電車に乗っている。今日は終日予定があるからnoteを書かなきゃな、思いながらも書く手は進まず読む手ばかりが進む。茂木健一郎さんからはじまり、林伸次さんとつづき、他のひとのnoteを読んだ。どこかで止めないと無限チェーン状にどんどんつながり読んでいくパターンだ。

 と、隣から声が聞こえはじめた。ボソボソとして腰の低い声だ。どうも良くないことが立ち上がったようである。謝罪の言葉と後処理の言葉を力なく並べていた。できるだけ聞かないようにと努めたが、案外長く話しているのでどうしても耳に入ってくる。

 気になってiPhoneから顔をあげ、ちらりと隣を見るともなく見た。白髪がちらちらと混じりはじめた中年の男性だった。長年着こんでいることのわかる白いジャンバーをネクタイ・ワイシャツの上に着ている。左手には読みかけの小説が開かれたまま握られていた。その表情には電話主にも電車のまわりの人たちにも申し訳なさが浮かんでいた。

 無事に電話がおわると、また小説に目を落とした。目の前の棚には見たことも聞いたこともないメーカーの黒いバック。背筋はちいさく曲がっていて、電車を降りるうしろ姿にはくたびれ感がベッタリと貼りついていた。電車が次の駅を目指して動きだし、彼の姿が見えなくなるまで目を離せなかった。

 なんてことない風景といえばそれまでだ。時間にしてもたった十数分やそこらのことである。しかし、朝の満員電車のなかで携帯越しに怒られていた中年男性は、その姿を消したあともしばらくのあいだ僕のこころの部屋から出ていってはくれなかった。

 ということで、こうして書き残すことにした。何か教訓めいたことやら意味ありげなことを、彼との出会いのなかから見つけようと思えばできないことはない気がする。たとえば、心理学用語である投影の原理を適用すれば、僕自身がじつは疲れてくたびれているのかもしれない、なんてことを。

 だけれど、そんなことをしたい気分ではない。その中年男性をへたにジャッジしたりせず、そのままの形でただ書き残しておきたいと思ったのだ。

 僕も目的へとたどり着いた。もうずいぶんと空席が目立つ電車を降りて、駅のそばにあるスタバへ向かう。デカフェのコーヒーを注文して隅っこの席に座り、パソコンに向かうそんな朝のひととき。

 今日もnoteを読んでくださり、ありがとうございます。いまは朝の10時過ぎですが、今日はいちにち感情についてのお勉強です。あ、勉強というよりは実践学に近いものなのですが。娘の写真に癒やされて、これから向かいます。


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