思考と感情のカタマリ。
感じていること。
思っていること。
考えていること。
ぼくという一人の人間のなかには、これらがぐっちゃぐちゃに絡まって存在している。テレビで時々放映される、「うっわぁ〜……」と声が漏れ出して、目を覆いたくなるような、片付けられない女たちの部屋も真っ青である。(ただの便宜上、女たちと表現したことをお許しいただきたい。男たちのなかにだって、片付けられない人はたくさんいる)
なにかを書こうとすると、これらのカタマリと格闘することになる。だから、「よし、書くぞ!」と心を決めるのにも二の足を踏んでしまう。もしくは、パソコンを目の前にして、しばらくフリーズすることになる。たとえばこうして、この記事を書きはじめるまでに、ゆうに2時間近くは費やした。それは無駄とも言える、生産性のかけらも感じられない時間だ。
でも、その時間はなにもしていないのかというと、そうではない。じぶんのなかにある感じていること、思っていること、考えていることのカタマリと死闘を繰り広げていたのである。たぶん、きっと、そうだと信じたい。
ちなみに、そのカタマリをそのままにして放っておくと、どうなるのか?
ずっと同じことが頭のなかでぐるぐる回っていたり、いっつも不安にかられていたり、ある特定の考え方に固執してしまったりするなど、悪さをしてくる。ぼくのカタマリは、そうなんだよなぁ。
だから、そのカタマリと取っ組み合おう。
(書くとか、書かないとかは関係なくね)
その取っ組み合いの末には、きっとこんな結末が待っているから。
少年漫画の主人公とライバルが、夕焼けの川沿いで睨み合って、殴り合って、疲れ果てて倒れこんで、「お前もなかなかやるじゃねぇか」・・・、「そういうお前もな」と、友情が芽生えるはずだ。
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一昨日からフォローしている門松一里さん。こちらから一方的になのですが、すごく共感したり、感覚が合う気がしています。ぼくのリツイートへのこのお返事中のリンク記事がいいんです。(少しむつかしく感じる人もいるかもしれませんが)
このような出会いは嬉しくなってしまいますね。SNS有り難いです。
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