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なぜ僕らはnoteという街に魅了されるのか?

 年末年始にかけてnoteが盛り上がっている。

 クリスマスには乙武洋匡さんが、

 1月4日に落合陽一さんも、

 そして1月6日の今日は、茂木健一郎さんがnoteをスタートされた。

 こうした実力とともに影響力を持った方々がnoteに参入することによって、その存在を初めて知った人や使い始めてみたという人もたくさんいるだろう。そんな風にしてnoteが盛り上がることは、いちユーザー・書き手として嬉しい。

 僕はブログのプラットフォームを街だと思っている。たとえば港区、新宿区、渋谷区、中央区というように、アメブロ区はてブ区LINE区、そしてnote区という具合だ。それぞれの街にそこ独自の文化や空気が形成されていている。その間には、どこがいちばんいい、という優劣はない。

 今回の件はつまり、noteという街へ遊びにやって来る人やそこに住む人が増えるということ。そうするとnoteという街で暮らし、執筆をしている僕のブログを見つけてもらえる可能性も高くなるわけで、パソコンの前に座りこっそりと喜んでいる。

 そんなことを書いていると、はてnote区の特徴ってなんだろう、、あらためて考えさせられることとなった。腕組みをして考えていると、茂木さんの下記の初投稿に書かれたこの部分は手がかりになるぞ、と。

決め手になったのは、ファウンダーの加藤貞顕さんの「本の原稿を書いていく場所にしたり、ファンクラブ的に使ったり、いろいろあると思います!」というツイートで、さすが、なかなかうまいところを衝いてくるというか、確かに本の原稿を書き溜めていく場所は欲しいと思っていたし、「ファンクラブ的に使う」ってどういうことだろうと関心がわいてしまった。

 ちなみに僕は、茂木さんの初投稿にこうリツイートした。

 ここには、ふたつの意味をこめている。

 「創作」と「場所」

 noteではユーザーのことを「クリエイター」と呼んでいる。つまりnoteという街はクリエイターの街ということもできるだろう。誰もがエッセイや小説、イラストや漫画、音楽、またはビジネスだってそうだ、そんな何かしらの「創造」をはじめられる、そしてそれをやり続けることを励まされる場所なのだ。

 あまり未来予想的なことはしたくないけれど、これからはより多くの人が創造をはじめる時代になると考えている。テクノロジーや医療、人間自身の進化によって、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、人は自由を獲得するに従って自分にしかできない創造に向かうのではないかと思うのだ。自分の奥深くにある、いちばん大切な何かを結晶化しようと試みる、そういう取り組みへと。

 そのためには、「場所」が必要になる。創造の足場となる場所、そこは書斎でも、アトリエでも、スタジオでも、研究所でもなんでもいい。もちろんリアルな場所も大切だけれど、このnoteはバーチャルな創作の場所になりうる。創作は孤独から生み出される、それは否定しない。いま僕もひとりぼっちで机に向かってこれを書いている。しかし、である。noteはその創作物はもちろん、そのプロセスまでも含めて誰かが見てくれている。スキ、そう言ってくれる。自腹を切ってサポートしてくれる。さらには、こういう中の人もいてくれる。

 孤独で苦しさも伴う創作活動を励ましてくれる、なんてあたたかい場所だろう。ただし、僕もここまで( フォロワー4767名、月間14万PV程度 )だってくるのに550日近く毎日まいにち書きつづけてきたがゆえである。簡単にたくさんの応援がくるというわけではなく、当たり前だが厳しさだってあるわけで。あ、でも。これぞまさに創作、という感じもする。

 書き始めてみると、ついつい熱くなってしまった。それでもまだ書き足りない。しかしそれくらいに、僕はnoteという存在があってくれたことで、大きく人生をシフトチェンジさせることができたと感謝している。

 ただし、これからが本番だ。これまではある意味、本格的に創作活動をはじめる基盤づくりであったと思う。これからこのnoteという書斎を起点として、小説を書いたり出版をしたり、既存の枠組みにとらわれない何かを生み出していこうと動いている。

 これを読んで何かを感じた人は、一緒にやりましょう。そして、ぜひこれからの僕にしかできないクリエイションを見守り、応援してもらえたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。

【 おわりに 】
 今日もこのブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 プロフィールページを設定しました。これまでやってきた仕事をまとめたページにすこし手を入れてみました。


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