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「曖昧」であることは素敵だけど、「明確」にするとみんなで同じ方向に進みやすいよね。

LRの代表の末永です。
最近LRについてKKBさんから取材を受けまして、来週も放送があるのでぜひ見てみてください。YouTubeにも上がるそうです。(昨日も放送があったので、2週にわたって特集していただいてありがたい)
【番組】「News+おやっと!」(8/22木 17時33分放送)
https://www.kkb.co.jp/j-chan/j-chan.php
コーナーは17:42分ごろ
未だに自分の声を聴くのが苦手で、心が整った状態じゃないと自分の動画など見ることが出来ないタイプ。自分で編集してるYouTuberすごい。


最近ですね、取材だったり、講演する機会も増えてきて、時間的にお断りするものも増えてきているのですが、基本的に学生向けの依頼はできる限り受けています。

数年前に、LRの従業員さんが先生に転職することがありまして、
その先生から学生向けに話してほしいという依頼があり、伊集院中学校の生徒に向けて1時間程お話をしたことがありました。
(辞めてもお互いポジティブな縁が続いてくこと嬉しいですね!)
立志式というイベントだったんですが全国にあるんですかね

そこで自分が学生時代出来なかったことを話すこともしました。
講演中に、自分スゲーみたいな話ばっかりするの嫌だったこともあり。

自分が学生時代出来なかったことは「議論する」ことでした。
自分は野球部だったんですが、野球部の後輩から野球の声出しをやる意味ありますか?と聞かれて、「これまでやってきたから声出しをやるんだよ」。と言っちゃったんですよね。
まぁ些細なことなんですけどね。でも自分の中で納得感ないのものはずっと残ってるんですよね。
そうじゃなくていいはずなのに、議論もせずそのままにしていること。
今の自分なら
『その意見は良いと思う。やる意味があるかを考えることって重要だなと。
自分の視点としては、常に声を出していることで、プレー中の声掛けもしやすくなる意味があるんじゃないかと思うんだけど。どう思う?』
今ならこんな風に相手を尊重しつつも、自分の意見ができるけど、学校の教育で議論をすることを練習は少ないから、自分で機会を作ってー

といったような話をしました。
議論が苦手な日本人っていうのは、教育の問題もあるとは思いますが、
日本語の曖昧さあるゆえだと思っています。
ChatGPTに聞いても、日本語は議論向きではないって言ってますね。

日本語が議論に向かない理由

曖昧な表現
日本語は主語や具体的な内容を省略しやすく、文脈に依存します。これにより、明確な主張や結論が伝わりにくいです。
例:「この書類、明日までにお願いします。」(誰が何をどうするのかが文脈に依存)
敬語と謙遜
敬語と謙遜の文化が強く、直接的な反論や強い主張を避ける傾向があります。これが議論の進行を妨げることがあります。
例:「それは少し難しいかもしれません。」(強い否定や反対意見を避ける)
暗黙の了解と間接的な表現
日本語のコミュニケーションでは、暗黙の了解や間接的な表現が多く用いられます。これにより、明確な意見交換が難しくなります。
例:「ご検討いただけますと幸いです。」(相手に決定を委ねる)
多義語と文脈依存性
多義語が多く、同じ言葉でも文脈により異なる意味を持つため、誤解が生じやすいです。
例:「昨日の会議、どうでしたか?」(会議の内容や結果、雰囲気など何を尋ねているかが不明瞭)

和を重んじる文化
対立を避けるために意見を強く主張しないことが好まれる傾向があります。これが建設的な議論を妨げることがあります。

ChatGPTより抜粋

日本語をディスっているわけではなく、日本語は素敵だと思っています。
こういった曖昧さが、和を重んじる文化を育むよなと。

ましてや起業してすぐのときは、曖昧なルールだったりの中で進んでいくことばかりでした。
働いてるメンバーの自主性を重んじて、各々が最善と思ったことを動くことでスピードもあり、成長もしてきました。
曖昧さの中でバランスを取りつつ、結果を出せるというのもベンチャーで必要な一つの能力だとも思います。

ただLRで働く人数も増えていく中で、多くのメンバーが同じ方向に進むためには、曖昧なままだと判断に悩んでしまう人も増えるのは事実ですね。

LRの理念の誰もが次世代に誇れるって具体的にどういうこと?
マネジメントの役割って?
出張規定はどんなルールに?

上記のような理念から細かいルールまで、明確にする作業をしはじめて、運用したものも増えてきています。
結果、自分自身も何をやりたいのかがクリアになって、人にも仕事を任せやすくなった印象です。

ただ自分たちの世代ってルールだったり制度だったり、明確に決まっていたものが多かったと思うんですよね。それを不自由を感じることもあり。
明確になることは、自由ではなくなる部分もあるので、「そのルールって必要?」っていう議論も、ルールや仕組み化をしてより良い成果を出せるようにしながら、曖昧である方がいいものも探し続けていきたいですね。


最後に

20年前の自分へ。
野球は声出ししたほうが楽しかったし、プレゼンもマイクなしでいける声量が出るから自信もっていいぞ。

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