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つながりは薄く軽いほうが良い

今朝のニュースで「最近の東大生は、入社したら数年後に独立することを念頭に就活している」と報道していた。いい傾向だと思う。

「手塩にかけて育成して、ハイさよならじゃやってられない」という会社側の嘆きもわかるが、この世の仕組みはすべてがビジネスだから。

育成が実らない場合は、放置される。会社の方針や業績悪化その他で解雇されることもある。その不安定な地盤に人生の殆どを委ねるよりも、いくつかの場所を確保するのは当然のことだ。

昭和生まれらしいキャスターが「我々の頃は『定年まで御社で働かせていただきます!』というのが普通でしたが…時代は変わりましたね」とコメントしていた。

組織に束縛されたくない人が増えているのだろう。

話変わって。

現在のマンションに居住して20年近くになるが、つながりの希薄さを感じる。いまだに近所付き合いはない。というか、殆どの人がマンション内ですれ違っても挨拶しないレベル。

よく「愛されたければ愛しなさい」という美辞麗句を口にする人がいるが、こちらが挨拶をしても殆どの人が無言なのだ。私もだんだん嫌気がさし、軽く目礼する程度にとどめるようになった。たまに挨拶してくれる人がいると、大きな声で挨拶し返すけれども。

昨年、マンションの理事会の役がまわり、年に何回か出席したが、皆その場限りの会話で世間話など一切しない。必要以上に踏み込まれたくないから、踏み込まないようにしよう、と心がけているように見えた。

理事会はマンションから徒歩数分の集会所で行っているが、お開きになった後は、皆会話を交わすこともなく、バラバラに帰る。

私は(皆マスク着用していたこともあり)理事会メンバーの名前と顔が一致していない。だから、近所のスーパーで逢っても多分気づかないだろう。そして、それは彼らも同じだと思う。

寂しい気もするが、でも逆に私生活のことをアレコレ根掘り葉掘り聞かれて取沙汰されるよりはいいか、と思い直している。人間関係が濃すぎるよりも、淡白なほうがマシだ(程度問題もあるけれども)。

美輪明宏さんも「人付き合いは腹六分」と言っていたし(ただ、家の近所は付き合い以前の段階だと思うが)。

うちの環境を考えるに、私が倒れてもそのまま放置されそうだが、その代わり一人で旅立ってもアレコレ容喙しないから、ある意味気が楽…と思う今日この頃。


うん。繋がりは薄く軽い方が良い。
組織や人間関係にがんじがらめにされるのは、結構苦痛だから。
やっぱり、身軽に生きたい。

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