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wacci『別の人の彼女になったよ』考察

いやぁ、この曲好きなんですよ。
みなさんも、そうでしょ?そうなんでしょ?わかってますって。
でももしかしたら、あなたが好きな理由と、僕が好きな理由はちょっと違うかもしれません。


この記事ではwacci『別の人の彼女になったよ』の歌詞を読み解くことで、その表現内容により深くアクセスすることをもくろみます。

この曲が好きな方(あるいは嫌いな方)はもちろん、広く一般に、歌詞を読み解くとはどういう活動をいうのかの一例としても楽しんでいただけると思います。

なおこの記事に含まれるアイデアは筆者ひとりのものではなく、友人や、またこの歌詞を取り上げた僕の音声配信を聞いてくださった方からの意見も参考にさせていただきました。改めてありがとうを言います。ありがとう。

この先の考察にお付き合いくださる方は、よろしければまず(改めて)歌詞を読んで、ご自身なりにこれがどういう状況を歌った曲なのか、どこに共感しどこに違和感を覚えたか、フワフワとしたものでも、ぜひあなたなりに感じて考えてください。曲は聞いたことあるよという方も、歌詞だけ読んでみるとまた違った印象があるかもしれませんよ。


論点1:主人公の「ごめんね」は何に謝っているのか?

まず簡単に状況を整理すると、登場人物は、主人公(私)・元カレ(あなた)・今カレ(別の人)の3人。歌詞全体が、主人公の元カレへのメッセージとなっています。

前半と中盤のサビでは、

だからもう会えないや  ごめんね
だからもう会えないや  ごめんね

https://www.uta-net.com/song/254047/

と言っていた主人公でしたが、終盤では今カレへの不満からか、

だからもう会いたいや  ごめんね

https://www.uta-net.com/song/254047/

と文言が変化します。この辺がみなさんが「うわああああああああわかるううううう」となるキモの部分だと思うのですが、僕はというと、「?」となってしまったのもまさにこの部分に関してです。

いったいこの主人公は、何に謝っているのでしょうか。

論点1ー1: 前半の「ごめんね」

この曲のオチの部分には、

あなたも早くなってね  別の人の彼氏に
私が電話をしちゃう前に

https://www.uta-net.com/song/254047/

とあります。ここでそれまでのサビにも含まれていた「あなたも早くなってね  別の人の彼氏に」の意図が分かる仕組みになっています。元カレにも新しい彼女ができることで、元カレに電話できてしまう理由を潰してほしいということでしょう。

ここで僕は、なるほど、主人公はまだ元カレへ連絡をとっていないのだと理解しました。それはおそらく正しい理解だと思うのですが、すると、前半の歌詞の意味がわからなくなりました。

だからもう会えないや  ごめんね
だからもう会えないや  ごめんね

https://www.uta-net.com/song/254047/

この人はいったい何に謝っているのでしょう?

ストレートに考えると、これは「やり直さないか」と復縁をせまる元カレへの拒否を述べる部分でしょう。ここをそうとることができるなら大した問題にはならないのですが、僕にはどうもそう簡単ではないように思われます。

ここで重要となるのは、別れたあと、元カレから連絡が来ているかどうかです。おそらく「来ている派」が多数となるでしょう。そうでないと先ほどの「ごめんね」の意味が説明できなくなるからです。しかし、少なくともこの歌詞を最初に読んだときの僕は「来てない派」でした。それはなぜか。

ラストに「私が電話をしちゃう前に」とある以上、主人公から連絡はとっていません。かつ、もし元カレからの連絡があった場合、主人公は元カレからの復縁の提案にイエスと返答する可能性があります。でもそうなってはいない(復縁はしていない)。であれば、このラストの状況において、主人公と元カレは連絡を取り合っていない可能性のほうが高いはずです。

とすると、どうなるか。前半のサビにある、「だからもう会えないや  ごめんね」は、もし元カレから連絡が来ていないのだとすると、この主人公はいったい何に謝っているのか、ということになります。元カレは主人公にもう関わる気がない、にもかかわらず主人公は「もう会えないや  ごめんね」と謝っている。これは奇妙な構図です。主人公がとんでもない自意識つよつよ奴に思えてきます。

論点1ー2 :元カレからの連絡はあるのか?

なぜこうなってしまうのかと言うと、僕が元カレからの連絡が「来てない派」に立つからです。その立場をとる理由は先ほど説明したとおりですが、ここまで読んでくださっている優しいあなたは、反論したくてしゃあないかもしれないですね。いや、連絡来てると思うで、と。

たとえば、元カレから連絡は来ているが主人公がそれを無視している可能性はないでしょうか。「またいっしょにフェスとか行きたいナ😂❗❗」のようなLINEが入ってきてはいるけど、主人公がそれをスルーしている。そんな可能性は大いにありそうです。が。

そのような主張をする場合、僕からは、さらに説明してもらいたい部分があります。それはやはり、「私が電話をしちゃう前に」の部分。なぜ「電話」なのでしょうか。先ほどの「既読スルー説」をとる場合、当たり前ですが、それは元カレからの一方通行の連絡、つまりLINEなどの文面で送られてきていると考えられます。すると、元カレからの連絡はLINEの文面で来るのに対し、主人公の連絡は電話、ということになります。この非対称性は、どういうことなのでしょうか。

ここはぜひ元カレからの連絡「来ている派」のみなさんの意見を伺いたいところですが、少なくともこういう解釈が有り得そうだというのを、遺憾ながら「来てない派」の僕が考えてみました。

  • メッセージは留守電で来ている(元カレも電話を使う)
    とても単純な解釈です。元カレも電話を使っているのです。
    そもそもこの曲はどの時代の世界を歌ったものでしょうか。よくよく読んでみると、この曲が現代の、つまりスマホを前提とした時代とは限らないというのがわかります。唯一、時代を表しそうな単語は「フェス」ですが、フェスは日本でも1970年代には存在し、80年代後半には現在主流となる野外フェスが行われています。また「フジロック」が最初に開催されたのは1997年。iPhoneの初代は2007年発売ですから、もしそういう時代の話なのだとすれば、「LINEやメールではなくわざわざ電話をする」ことの不自然さも際立ちません。

  • 主人公は電話を使いたい派の人
    よりを戻す戻さないのような大事な話は電話を使いたい。直接あなたの声を聞きたい。直接わたしの声を、思いを聞いてほしい。そういう気持ち、よくわかります。文面では言いづらいことも電話だと言いやすくなることってありますよね(その逆があるのも不思議ですよね)。
    ただそうすると、元カレはそういう大事な話も文面でしてくるヘタレ野郎となりそうですが、もしかしたら元カレもLINEの文面だけではなく、たとえば文面のあとに不在着信を入れる、みたいにして文面と電話を組み合わせているのかもしれませんね。

  • 元カレから電話が来ていて主人公もそれに応答している
    これは少し違う角度からの説明となります。そもそもいま、何が問題だったのかというと、元カレからは連絡が来ている、主人公はそれをスルーしている、だとすると元カレは文面で連絡してきているはず、ではなぜ主人公は「電話」にこだわるのか?でした。ところが、そもそも主人公は元カレからの連絡をスルーしていない、つまり元カレからの電話を取って、おしゃべりをしていると考えることもできます。
    僕の見立てでは、主人公は元カレと電話で話してしまうと「崩壊」し、復縁まっしぐらになってしまうと考えていました。しかし実際はそんなことなく、元カレともふつうに電話で話すことができる。ただそれは、あくまでも元カレからの電話に限ったことで、主人公みずから電話をしてしまうことはまた別の意味ができてしまう。つまり主人公は、元カレから来ちゃう電話には「しぶしぶ」応答しているというテイをとれるが、自分から連絡しちゃうと復縁に積極的だと判定されてしまうからしない(できない)と考えているのではないか、という説です。
    少々入り組んだ考え方ではありますが、この「テイをとれる」という部分が、のちに取り上げる主人公の「ずるさ」とも関わってきて、それなりに説得力のある意見でもあります。

いずれかの解釈をとる(もちろんその他の解釈もありえます)ことで、主人公が「電話」にこだわる理由を説明し、元カレからの連絡来てて既読スルー説を推すことができます。

補論: 「そうでなければならない」理由を考えるのが解釈

ここまで読んでくださって、いや「電話」にこだわってんのは主人公じゃなくてお前だろというツッコミもあるでしょう。でも、そんな悲しいこと言わないでほしい。こういう、細かい細かい違和感をこねくり回すのが、歌詞を解釈するということだと思うのです。

だって、このラストの「私が電話をしちゃう前に」の部分は、「私が連絡しちゃう前に」っていう歌詞でも良かったんですよ。歌ってみてください。ね?ほら。これでもいいでしょ。でもそうじゃないんです。「電話を」なんです。ということは、ここは単に「連絡」じゃなくて「電話を」にしなければいけなかった理由があるはずです。

もちろんこの歌詞を書いた橋口さんが実際にその辺のことを考慮したかはわかりません。でも、そんなことは関係ねぇんです。僕らのような「解釈する側」の役割は、この歌詞が100%完成しきったものであって、この歌詞は一言一句、こういう表現でなくてはならなかったものだと考えることなのです。極端な話、主人公の一人称が「わたし」ではなく「私」なのにも何かしら理由がある(僕には読み取れないけど)。

先ほど、作者の意図は関係ねぇと申し上げましたが、そう考えないと、「作者の意図した解釈」が正解で、それ以外は不正解になってしまうからです。そうではなく、より歌詞の表現に忠実で、整合性もあり説得力がある解釈こそ正解に近いと考えるべきだと思います。

この辺のことは「解釈とは何か」という論点であり、それだけで1記事書ける話なのでここでは僕の立場を明確にするだけにとどめます。僕が大切にしているのは、歌詞の表現そのものと、解釈との整合性です。


論点1ー3: 前半の「ごめんね」と後半の「ごめんね」

ここからは、論点1:主人公の「ごめんね」は何に謝っているのか?について、僕なりの決着を述べます。改めて、いまなにが問題になっているのかと言うと、まず前半の「ごめんね」に関して、

だからもう会えないや  ごめんね
だからもう会えないや  ごめんね

https://www.uta-net.com/song/254047/

もし元カレからの連絡が「来てる派」であればここは問題がないのですが、「来てない派」の場合には主人公が自意識過剰奴になるので違和感。なのでどうにかして「来てる派」を推していきたい。そんなことをここまで述べてきました。

しかし、ここでもう1つ、「来てる派」が考えなければならないことがあります。それがもう1つの「ごめんね」です。

だからもう会いたいや  ごめんね

https://www.uta-net.com/song/254047/

もし元カレからの復縁の提案が「来てる」のであれば、この「ごめんね」は何に謝っているのでしょう。単純に考えて、元カレから「会いたい」という連絡が来ていて、主人公も「会いたい」と思ってるのであれば、会えばいいのであって、「会いたいや  ごめんね」と謝る意味がわかりません。「会えないや  ごめんね」はわかるけど、「会いたいや  ごめんね」はわからない。

実は、元カレからの連絡「来てない派」に立つと、この後半の「会いたいや  ごめんね」はスムーズに理解ができます。「来てない派」からすると、元カレは主人公に関わりを持たないようになっていますから、仮に主人公から「会いたい」と連絡してしまった場合、元カレは迷惑がる恐れがあります。つまりこの場合、「会いたいなんて今さら言っても迷惑だよね、ごめんね」ということになるのです。

「来てない派」は、後半の「ごめんね」は理解できるが前半は理解できない。「来てる派」は、前半は理解できるけど後半が理解できない。これこそ、僕が『別の人の彼女になったよ』最大の謎と考えるポイントです。さて、あなたはどのように解釈しますか?

改めて、僕の解釈を述べます。
素直に考えましょう。後半の「会いたいや  ごめんね」は、ほんとは会いたいのに「会えないや」って言っちゃってごめんねという謝罪ではないでしょうか。そう考えると、今までいったい何に悩んでたんだってくらいスッキリします。

ストーリーで言うとこうです。
主人公と元カレが別れたあと、元カレから連絡が来ます。電話です。そしてその際に元カレが「あのころに戻れたらなぁ」的な発言をして、主人公は実際に「別の人の彼女になったよ」と伝えます。「だからもう会えないや  ごめんね」と。
だけどその後、今カレへの不満が蓄積してきて、主人公の中で元カレへの思いが再燃してきます。しかしあれ以降、元カレからの連絡は来ない。あのとき「もう会えない」と言ったくせに、今は「会いたい」と思っているんだ、ごめんね。

こう言ってしまえば単純な話で、要するに、この曲では「時間の経過」が起こっていると考えられる。わかりやすくするなら、歌詞の1番の段階では元カレを拒否し、そしてそれなりの時間が経ち、2番ではそのことを後悔しているという感じです。

なぜこんな単純なことに、少なくとも僕はなかなか気づけなかったのでしょう。もしかしたら僕と同じく気づかなかったという方もいるかも知れないので原因を考えてみると、おそらく、1番も2番も歌い出しが「別の人の彼女になったよ」で共通しているからではないでしょうか。同じフレーズで始まるから、今カレの良いところと嫌なところを同時に、並列して吐露しているように見えるのです。しかし実は、1番と2番では時間が経過しており、2番ではもはや今カレの良いところより嫌なところが目立ち始めている。

以上が、2つの「ごめんね」を説明するための僕の解釈です。
いま述べたような、フレーズの反復によって時間の経過を見えにくくする工夫が為されていると考えると、かなり巧妙に仕組まれた歌詞だと思えてきます。

しかしながら、この「時間の経過」という解釈は、あくまで2つの「ごめんね」を整合的に説明するためのものに過ぎず、他の箇所に根拠があるものではありません。だからもっと良い、もっと正しい解釈がきっと存在します。改めてみなさん、というかあなたが、主人公の「ごめんね」の意味をどう解釈するか。ほんとうに、ぜひ伺いたいです。


論点2:「ズルい」と「ずるい」

ここからはもう1つの、オマケの論点です。一回聞いただけ(一回読んだだけ)ではスルーしてしまうかもしれませんが、この曲には表記ゆれ、つまり同じ表現なのに別の表記が使われている箇所があります。

だからもう会えないや  ごめんね
だからもう会えないや  ごめんね
あなたも早くなってね  だけど私はズルいから

だからもう会いたいや  ごめんね
だからもう会いたいな  ずるい
あなたも早くなってね  別の人の彼氏に
私が電話をしちゃう前に
(太字筆者)

https://www.uta-net.com/song/254047/

もちろんこれも、ただのミスかもしれません(そんなミスしそうにないけど)。しかしそうではなく、つまりこれがミスではなく、きちんと意図のあるものだと考えてみてください。このように表記を分ける必要があるのだとしたら、そうしなければならない理由は何でしょう。

まず考えられるのは、この2つの言葉の意味が違うということです。同じ「hana」でも「花」と「鼻」のように表記が違うと違う意味になるように、実は「ズルい」と「ずるい」は同じ「zurui」でも意味が違う可能性があります。しかしまぁ、ね。同じですね。「ずるい」は「ずるい」しかない。

すると次に、同じ「ずるい」でもまたちょっと違った「ずるさ」のことを言っているのではないでしょうか。例えば「ズルい」は「恋愛面でのずるさ」で、「ずるい」は「金銭面でのずるさ」のような感じです。

しかし、これもどうも、同じ意味のように思えます。「だけど私はズルいから」の「から」が向かう先は「会いたい」なわけですし、「ずるいね」という感想の前にも「会いたい」があるから、どちらにしても「(一回断ったくせに今は)会いたいと思っちゃうなんてzuruiよね」としか読めません。少なくとも僕には。

だとすると、表記ゆれの他の可能性はないか。そこで僕が思うのが、これは言っている人間が違うのではないかということです。たとえば、「ズルい」の方は他者から言われていることで、「ずるい」は自らの感想とか。

あなたも早くなってね  だけど私はズルいから

https://www.uta-net.com/song/254047/

ここは「だけど、ほら、付き合ってたときあなたも言ってたみたいに私ってズルいからさ」という意味で、

だからもう会いたいな  ずるいね

https://www.uta-net.com/song/254047/

ここは「会いたいなんて、ね…。ほんと私ってずるい」のように噛み締めている。そんなふうに使い分けられていると考えることができます。

ただし、「ずるいね」も「(あなたの言う通り)ずるいよね」という意味にも読めるので、そうするとどちらも元カレの言葉になってしまいます。前半の「ズルい」は元カレを含む不特定多数の他者(もしかしたら今カレも含む)から言われている属性のようなものを指していて、後半の「ずるい」は元カレから別れ際とか、それこそ「早く別の人の彼氏になってね」とか言っちゃったときに「ずるいよ」って言われたとか、そういう印象的なシーンのセリフの引用なのかもしれません。

そしてこのあたりが僕の限界です。
ここもぜひ、意図のある表記ゆれだという前提で、あなたがどう考えるかをお聞きしたいです。


まとめ(と残された論点)

長々とお付き合いくださり、僕はほんとうにあなたが大好きです。

『別の人の彼女になったよ』の解釈をするに当たり、いくつか他の方の書いたものを読ませていただき、自分が気になることに触れているものが全く無かったので、拙筆ながらこうしてあつらえてみました。

僕にとって、解釈は、違和感から始まります。
歌詞を読んで「?」と思ったところについて、他の歌詞との整合性が取れるように解釈する。そういうスタイルでやっているので、ふつう他の人が解釈する箇所は無視して、「ずるい」の表記ゆれにこだわったりします。

この歌詞を改めて他の人に読んでもらうと、何人かで共通して「なんで元カレと別れちゃったんだろう」という論点が出てきました。それも確かに気になる部分ではありますが、僕にとっては、ここに書いた2つの論点(「ごめんね」と「ずるいね」)のほうが切実な問いだったので、あえてそこにはノータッチとしています。なんで別れちゃったんだろうともしあなたが感じるなら、またそれ以外の気になる箇所があるなら、それはあなたの論点として、大切に育てて、解釈し、それを僕に教えてほしいです。

僕はよく、解釈を素潜りにたとえます。
まず歌詞の表面をよく見て、違和感をとらえるのは、海の表面の光り方を見て「ここ潜ったら深くまで行けそうかな」と見当をつけるようなものです。そして歌詞の言葉一つ一つを手がかりに、深く潜っていき、そこでしか見えない、海底に広がるステキな景色を眺める。あわよくば誰かにそれをレクチャーして、いっしょに眺めてもらう。ここにたくさん文字を書いたのは、そんな海底探検ツアーへのご招待でした。

今度はあなたの手引きでステキな景色を見てみたいな、って。

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